神奈川県横須賀市西浦賀1丁目、浦賀港の浦賀渡船(西渡船場)の南側にあるのが、昭和10年代に築かれた陸軍桟橋。西浦賀みなと緑地が正式名ですが、太平洋戦争終了後、南方や中国大陸からの引き揚げ者約56万人が復員したL字型の桟橋がボードウォークとして整備され、陸軍桟橋と呼ばれています。
終戦直後は引揚港として「氷川丸」も入港
引き揚げというとソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親を歌った『岸壁の母』(昭和29年、菊池章子の歌唱で大ヒット、その後、二葉百合子のカバー版も大ヒット)で有名な舞鶴港を思い浮かべますが、浦賀港も引き揚げの舞台。
浦賀港は、第二次世界大戦後、外地からの引揚者を受け入れた引揚指定港となり(舞鶴、浦賀、呉、博多、浦頭など全国で18港が引揚港に指定)、中部太平洋や南方諸地域、中国大陸などから56万4625人を受け入れています。
昭和21年3月29日、華南(広東)方面からの引揚船内でコレラが発生、広東がコレラの流行地だったため、以後、続々と感染者を乗せた船が入港したため、旧海軍対潜学校(久里浜長瀬)に設けられた浦賀検疫所に直接上陸、大防疫が実施されました。
引揚船の船内で発生したコレラを日本国内に持ち込ませないため、検疫が終わるまで入港が許可されず、上陸を目前にしながら亡くなった引揚者も多かったのです。
そんな引き揚げ事業も昭和22年5月、浦賀引揚援護局の閉鎖で終了し、今では忘れ去られた歴史となっていました。
この引き揚げには、現在横浜港・山下公園に係留された「氷川丸」も使われ、ミレ島からの復員兵を乗せた「氷川丸」が浦賀港に入港したのです(昭和20年10月7日に引揚第1船として餓死寸前の傷病兵2000余名を乗せて入港)。
引揚者数は、浦頭港(長崎県佐世保市)139.6万人、博多港139万人、舞鶴港67万人、浦賀港56万人の順で、浦賀港は全国4位の数の引揚港でした。
横須賀市では、浦賀港の引き揚げの歴史を後世に伝えようと平成18年10月、横須賀市制施行100周年のプレ事業として陸軍桟橋に記念碑「浦賀港引揚記念の碑」を建立、恒久平和を祈念しています。
陸軍桟橋 | |
名称 | 陸軍桟橋/りくぐんさんばし |
所在地 | 神奈川県横須賀市西浦賀1-12-3 |
関連HP | 横須賀市公式ホームページ |
電車・バスで | 京急浦賀駅から京急バス久里浜駅行きで5分、紺屋町下車、徒歩3分 |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 陸軍桟橋管理事務所 TEL:046-822-4022 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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