神奈川県横須賀市久里浜7丁目、ペリー上陸地を公園として整備したペリー公園にあるのが、ペリー記念館。浦賀に来航したペリーは、嘉永6年6月9日(1853年7月14日)、久里浜に上陸し、フィルモア大統領の国書を幕府側に引き渡していますが、その時の様子をジオラマで展示し、黒船来航の歴史を学ぶことができます。
久里浜に上陸したペリーの歴史を学ぶ
「泰平の眠りをさます上喜撰たった四盃で夜も寝られず」という有名な狂歌を残した黒船来航。
上喜撰(上等なお茶)は蒸気船にかけ、四盃は4隻という意味ですが、実は来航した軍艦4隻のうち、蒸気船はペリー提督が乗船する旗艦「サスケハナ」と「ミシシッピ」の2隻で、残りの2隻(「サラトガ」、「プリマウス」)は帆船でした。
旗艦「サスケハナ」の全長は78.3mなので、現在久里浜港と金谷港を結ぶ東京湾フェリーの船(「しらはま丸」、「かなや丸」)とほぼ同じサイズです。
「サスケハナ」と「ミシシッピ」は、当時、最新鋭のフリゲート艦で、当時最大の千石船の十数倍の大きさに見る人は圧倒されたことでしょう。
ペリー記念館の2階で展示される当時の絵巻物や瓦版などからも、人々の驚きや動揺が伝わってきます。
日本側で対応したのは、浦賀奉行・戸田氏栄(とだうじよし=事の重大性を見抜き、幕府に早船を送って注進)と浦賀奉行・井戸弘道(いどひろみち)で、大統領の親書を受け取っています。
ペリー艦隊は天然の良港で奉行所もある浦賀に来航しながら、なぜ上陸地点が久里浜の浜辺になったのかといえば、ペリー艦隊は到着してから上陸するまでの数日間で江戸湾の測量を終わらせ、羽田沖までの海図を作ってしまうなど、国防上の脅威もあり、当時、江戸湾防備を担った川越藩、彦根藩、会津藩、忍藩が浦賀上陸に猛反対したから。
その結果、守りやすいということで、久里浜が選ばれたのです。
展示物にはペリーが船中から娘のイザベルに宛てた手紙なども展示され、ペリーの人間像にも触れることができます。
ペリー執筆の『日本遠征記』復刻版の閲覧コーナー、ミュージアムショップなども併設。
ペリー記念館 | |
名称 | ペリー記念館/ぺりーきねんかん |
所在地 | 神奈川県横須賀市久里浜7-15-1 |
関連HP | 久里浜観光協会公式サイト |
電車・バスで | 京急久里浜駅から徒歩20分 |
ドライブで | 横浜横須賀道路佐原ICから約4km |
駐車場 | なし |
問い合わせ | ペリー記念館 TEL:046-834-7531/FAX:046-834-7531 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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