『南国土佐を後にして』歌碑

昭和33年11月にNHK高知放送局テレビ放送開始の記念番組として『歌の広場』にペギー葉山が登場し歌い、テレビ時代の幕開けとともに日本全国に知れ渡った名曲が『南国土佐を後にして』。昭和34年にレコード化、映画化されて大ヒットし、はりまや橋が一躍有名に。そのはりまや橋のたもとに『南国土佐を後にして』歌碑が立っています。

平成24年11月3日にはりまや公園に歌碑が誕生

陸軍朝倉歩兵236連隊(鯨部隊)内で自然発生的に生まれた歌が原曲で、武政英策が採譜、整理、改編。
昭和28年に丘京子がラジオ高知の番組で歌って反響を呼びレコード化、『次郎長社長よさこい道中』(昭和36年公開の進藤英太郎の社長シリーズ第3弾)でも丘京子が芸者役で登場し、『南国土佐を後にして』を歌っています。

その後、鈴木三重子が昭和30年にレコード化してしており、ペギー葉山はカバー曲ということに。
ペギー葉山の『南国土佐を後にして』は、累計では200万枚を売り上げ、『第40回NHK紅白歌合戦』(昭和64年)で、ペギー葉山はこの歌を歌っています。

ペギーが歌手生活60周年を迎えた平成24年11月3日にはりまや公園に歌碑が設置され、8:30〜20:30の1時間おきにペギー本人の歌声が流れる仕組みになっています。
鯨部隊が歌った歌が原曲ということで、かたわらの鯨のモニュメントが潮を吹くというユニークな仕掛けも。

歌碑は「南国土佐の歌碑を建てる会」(臼井浩爾会長)が募金活動を行ない制作され、高知市に寄贈されたもの。
題字はペギー葉山直筆。

「あの歌の大ヒットから何と54年の歳月が流れ、多くの皆さまの善意と、あの歌に寄せる熱い思いの結集です」(ペギー葉山のブログから)。
「歌碑が建つということは歌い手として本当に名誉なことです。当時ジャズ歌手として歌っていた私にNHK高知放送開局記念曲『南国土佐を後にして』のお話があったのは今思えばご縁としかいいようがありません。自分の代表曲としてだけでなく、戦地に散った部隊のみなさんの想いも込めてこれからも大切に歌い続けたい」(除幕式で、ペギー葉山)。

『南国土佐を後にして』歌碑
名称 『南国土佐を後にして』歌碑/『なんごくとさをあとにして』かひ
所在地 高知県高知市はりまや町1-5
関連HP 高知市公式ホームページ
電車・バスで とさでん交通ではりまや橋下車すぐ
ドライブで 高知自動車道高知ICから約5km
駐車場 高知市中央公園地下駐車場(325台/有料)、駐車場から徒歩5分
問い合わせ 高知市観光振興課 TEL:088-823-9457/FAX:088-823-9415
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

はりまや橋

2017年9月22日

 

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