建勲神社

建勲神社

京都市北区、船岡山の中腹に鎮座するのが、建勲神社(たけいさおじんじゃ)。天下統一を成し遂げた織田信長の偉業を称え、織田信長を主祭神にして明治天皇が創建。明治3年に東京と天童に創建されましたが、明治13年、東京から京都・船岡山に遷座し、明治43年に山上部分に社殿が造営されています。

地元で「建勲さん」と呼ばれる、織田信長を祀る神社

没後まもなく朝廷から、豊臣秀吉が豊国乃大明神(とよくにのだいみょうじん)、徳川家康が東照大権現の神号を下賜され、祀られたのに比べ、織田信長には長らく神号がなく、神として祀られていませんでした。

明治時代に、織田信長が神格化されたのは、戦国の騒乱を経て天下を統一し、朝儀復興などに尽力したからといわれています。
ただし、織田信長は、元禄8年(1565年)に正親町天皇(おおぎまちてんのう)が発したキリシタン禁令を無視するなど、歴史的には、禁裏(きんり)・天皇と距離を置いているので、天童織田藩が官軍に味方したことなどから、藩祖を祀る神社としての色彩が強かったことがうかがえます。

明治3年10月17日、建勲(たけいさお)の神号が下賜され、天童藩主から天童藩知事になった織田信敏(おだのぶとし=織田信長の次男・織田信雄の末裔)の東京邸内と織田家旧領地の山形県天童市に建勲社が創建されたのが始まりです。

正式名は建勲神社(たけいさおじんじゃ)ですが、地元では「建勲(けんくん)さん」と呼ばれています。

京都の建勲神社が建つ船岡山は、豊臣秀吉が大徳寺で信長の葬儀を執り行ない、さらに天正12年(1584年)、正親町天皇から「天正寺」の寺号を賜り、織田信長の廟所・天正寺の境内地と定めた場所(天正寺の建設を担った大徳寺の僧・蒲庵古渓が秀吉の逆鱗で大宰府に配流となり、天正寺は完成していません)。
豊臣秀吉が、そして明治天皇が船岡山にこだわったのは、織田信長が入洛時、初めて陣を敷いた記念すべき地だから。

本殿(明治13年建立、明治43年移築)、拝殿、神門、神饌所、手水舎、社務所、貴賓館などは国の登録有形文化財に指定。

足利義昭を第15代将軍に擁立した織田信長が初めて入洛した10月19日を記念して、毎年この日に例大祭『船岡祭』も開催。
神殿祭が行なわれた後には、境内の舞台で信長が桶狭間の戦いに出陣する際、清州城で舞ったとされる仕舞『敦盛』の奉納があります。
また例大祭時には、信長ゆかりの刀や鎧なども公開されています。

建勲神社
名称 建勲神社/たけいさおじんじゃ
所在地 京都府京都市北区紫野北舟岡町49
関連HP 建勲神社公式ホームページ
電車・バスで JR京都駅から市バスで43分、建勲神社下車、徒歩3分。または地下鉄烏丸線北大路駅から徒歩15分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約11km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 建勲神社 TEL:075-451-0170/FAX:075-451-0170
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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