源氏物語『宇治十帖』で知られる、京都府内を流れる淀川本流の中流部が宇治川。河川法上は淀川の一部で、上流の滋賀県側は瀬田川と通称されています。宇治市内中央を貫く宇治川ですが、宇治川と呼ばれるのは上流は天ヶ瀬ダム上流から、下流は木津川、桂川との三川合流地点まで。合流地点から下流が淀川と呼ばれています。
実は淀川の一部で、宇治川は通称!
『源氏物語』五十四帖のなかで、第四十五帖『橋姫』から最終章の『夢浮橋』までの十帖は、光源氏の子の薫君(かおるのきみ)と孫の匂宮(におうのみや)を主人公に宇治の地を舞台に物語が展開するため『宇治十帖』と呼ばれています。
宇治は古くから大坂(難波津)、奈良(平城京)、京(平安京)を結ぶ交通の要衝で、大化2年(646年)には最初の宇治橋が架橋。
淀川の山崎橋(現存せず)、瀬田川(淀川源流部)の瀬田の唐橋とともに「古代三大橋」のひとつにも数えられていますが、現在の橋は近年の再建。
なかほどに張り出した「三之間」は、かつて宇治橋の守護神、瀬織津姫(せおりつひめ=橋姫)を祀った場所で、現在その祠は橋姫神社として移転しています。
宇治市街を流れる宇治川の2つの中洲を宇治公園として整備し、松や紅葉などが植栽。
西岸から中洲(宇治公園)を橘橋、東岸から朝霧橋で結んでいます。
ちなみに宇治川上流部の15.2kmほどは、かつて宇治川ラインと呼ばれた峡谷(大正15年〜昭和50年には宇治川汽船が観光船を就航)。
天ヶ瀬ダムの完成で、ダム湖になっていますが、この部分は、河川の流路が決まってから土地が造山活動で隆起した先行谷(せんこうこく)、先行河川(せんこうかせん)。
かつては、天ヶ瀬駅〜堰堤駅に京阪電気鉄道のおとぎ電車が運転され(天ヶ瀬ダムの建設で昭和35年廃止)、平等院近くの塔の島から天ヶ瀬駅までの間にプロペラ船も運航されていました。
宇治川 | |
名称 | 宇治川/うじがわ |
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