実相院

実相院

京都市左京区岩倉にある天台宗の寺、実相院(じっそういん)。かつては天台宗寺門派(天台寺門宗)三門跡のひとつ(皇族関係者が住職を務める寺)で、実相院門跡、岩倉門跡、岩倉御殿とも呼ばれる名刹。狩野派の襖絵などが現存し、まさに狩野派美術館といった感じです。

門跡寺院で本堂も女院御所の一部

実相院

寛喜元年(1229年) 、大納言・鷹司兼基(たかつかさかねもと)の子、静基僧正が京・紫野(むらさきの)に開創した古刹で、その後、京都御所の近くに移り、さらに応仁の乱の戦火を逃れて文明6年(1474年)、現在の岩倉の地に移っています。

江戸時代初期には、室町幕府の最後の将軍・足利義昭(あしかがよしあき)の子、足利義尋(あしかがぎじん=人質として信長に預けられ、1歳で出家、妻は古市胤子)が門主となり、3代将軍・徳川家光の庇護を受けて実相院を再興しています。

その後、伽藍は、寛永18年(1641年)、第17世・義尊僧正(足利義昭の孫、足利義尋の子)が、皇室と3代将軍・徳川家光の援助により再建しています。
現存する本堂・四脚門・御車寄せは、義周法親王が第20世門主となった享保6年(1721年)、東山天皇の中宮・承秋門院(じょうしゅうもんいん)の旧宮殿(女院御所)の一部を下賜されたもので、大宮御所の遺構。
客殿には狩野探幽らによる見事な障壁画が残されています。
本尊は鎌倉時代に作られたと伝えられる木造の不動明王立像。

また客殿東の広大な枯山水「一仏八僧の庭」(蹴鞠の庭を明治期に枯山水に改めたもの)と善阿弥作の桃山時代の回遊式庭園の2つの美しい庭園を有し、枯山水の「一仏八僧の庭」は比叡山を借景に、春にはシダレザクラが美しく咲きます。

花鳥の間の「花鳥図襖」(詳細不明)、滝の間の「高士図襖」(狩野派)、七仙人の間の「群仙図襖」(狩野永敬)、鶴の間の「群鶴図襖」(狩野派)、牡丹の間の「竹に虎図杉戸」(狩野派)、波の間の「山水図襖」(狩野派)、公家の間の「唐美人図襖」「温公撃甕図襖」(詳細不明)、上段の間の「帝艦図」「黄帝造船車図襖」(狩野派)とまさに狩野派美術館といった感じ。

磨かれた黒床に紅葉が反射し写りこむ「床もみじ」、「床みどり」で知られる新緑、紅葉の名所でもあり、紅葉の見頃は例年11月中旬~12月上旬頃。

実相院
名称 実相院/じっそういん
所在地 京都府京都市左京区岩倉上蔵町121
関連HP 実相院公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄烏丸線国際会館前駅から京都バスで13分、岩倉実相院下車、すぐ
ドライブで 名神高速道路京都東ICから約14km
駐車場 10台/無料、紅葉シーズンは駐車不可
問い合わせ 実相院 TEL:075-781-5464
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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