三条大橋擬宝珠の刀傷

京都、鴨川に架かる三条大橋に取り付けられている擬宝珠(ぎぼし)は昭和25年の架橋の時に往時のスタイルで新造されたものと、以前の擬宝珠をそのまま活用したものがあります。再活用の擬宝珠のなかには刀傷がついたものもあり、この刀傷は新選組が池田屋を襲撃した池田屋騒動の時のものと伝わっています。

擬宝珠には「天正十八年」「豊臣」と刻まれたものも

三条大橋擬宝珠の刀傷

元治元年6月5日(1864年7月8日)、三条木屋町(三条小橋)の旅館「池田屋」に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の新選組が襲撃した事件が池田屋騒動(池田屋事件)。
三条大橋の南北の欄干、西から2つめの擬宝珠(袖の小さい物も含めると3つめ)がそれで、はっきりと刀傷が確認できます。

この池田屋事件は尊王攘夷派が京に火をつける、あるいは天皇を拉致する計画があったとして捕縛に至ったとされていますが、確たる証拠はなく、新選組による捏造ともいわれています。
池田屋事件で尊王攘夷派は優秀な人材を失っています。

三条大橋と池田屋との距離は150mほど。
新選組ファンは「池田屋騒動の刀傷であってほしい」と願う人が多いようですが、残念ながら歴史的な裏付けはありません。

史実として裏付けがあるのは、橋の東詰にある「天正十八年」の文字が刻まれた擬宝珠。
よく見ると「豊臣」の文字が刻まれており、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が命じて架橋された時のものであることがわかるのです。

三条大橋擬宝珠
「天正十八年」「豊臣」の銘がある擬宝珠
三条大橋擬宝珠の刀傷
名称三条大橋擬宝珠の刀傷/さんじょうおおはしぎぼしのかたなきず
所在地京都府京都市中京区中島町
電車・バスで京阪三条駅から徒歩2分。または、地下鉄東西線京都市役所前駅から徒歩5分
駐車場市営御池地下駐車場(1000台/有料)
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