高松神明神社

高松神明神社

京都府京都市中京区にある高松殿の跡に建つ古社が高松神明神社(たかまつしんめいじんじゃ)。平安時代の初め、醍醐天皇の第十皇子・高明親王が7歳の砌(みぎり)、源氏を名乗り高松殿を造営した際、伊勢の神宮から天照大神の分霊を勧請して神明社として創建した高松殿の鎮守社です。

保元の乱で後白河天皇方の本拠地となった高松内裏(高松殿)跡

高松神明神社

高明親王(源高明・みなもとのたかあきら)の娘・源明子(みなもとのめいし)は、安和2年(969年)の安和の変(あんなのへん=藤原氏による排斥事件)で父・源高明が失脚後、叔父・盛明親王の養女となり、藤原道長と結婚してこの地で暮らしたことから高松殿と呼ばれています。

後白河天皇は、久寿2年7月24日(1155年8月23日)、この地で即位し、御所(里内裏)として使用しています。
鳥羽法皇が崩御した保元元年(1156年)に起きた保元の乱(後白河天皇方と崇徳上皇方が対立)では後白河天皇方の本拠地となり、源義朝(みなもとのよしとも)、源義康(みなもとのよしやす=足利義康)や平清盛らが高松内裏(高松殿)、に集結しています。

平治元年(1159年)の平治の乱で高松内裏は焼失し、その鎮守社の高松神明神社のみが残されています。

戦国時代の永禄8年(1565年)に社殿が再建され、高松神明宮宝性院となり、真言宗の宥玉法院が寺に入っています。
幕末の元治元年(1864年)に起こった長州藩が京都に出兵し会津・薩摩の藩兵と京都御所で交戦した「蛤御門の変」(はまぐりごもんのへん)による戦火で社殿や神仏習合時代の地蔵尊、金比羅権現などを焼失。
明治初年の神仏分離で別当(神社を管理する寺)の宝性院が廃寺となり、高松神明神社のみが残されています。

現在は開運厄除けの神様として知られていますが、地蔵堂があるのは神仏習合時代の名残り。
境内にある神明地蔵尊「幸村の知恵の地蔵尊」は、もともと紀州九度山の伽羅陀山(善名称院真田庵)に安置してあった真田幸村(さなだゆきむら=真田信繁)が蟄居時代に拝んだという地蔵尊で、江戸時代に宝性院に遷されたもの。
地蔵堂の台石をさすり、子供の頭をなでると知恵を授かるといわれています。

京のお伊勢さんといえば、日向大神宮(京都市山科区)ですが、この高松神明神社も京のお伊勢さん(天照大神を神宮から勧請して祀る神明宮)のひとつです。

高松神明神社
名称 高松神明神社/たかまつしんめいじんじゃ
所在地 京都府京都市中京区姉小路釜座東入津軽町790
関連HP 京都市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄烏丸御池駅から徒歩5分
駐車場 なし
問い合わせ 高松神明神社 TEL:075-231-8386/FAX:075−231−8386
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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