醍醐寺三宝院・庭園

醍醐寺三宝院・庭園

世界文化遺産「古都京都の文化遺産」の構成資産のひとつが醍醐寺。歴代座主が居住する本坊的な機能を有しているのが三宝院です。庭園は、豊臣秀吉が基本設計をしたと伝えられる名園で、国の特別史跡・国の特別名勝に重複指定されています。表書院から、「藤戸石」を中心にして鑑賞を。

「天下の名石」といわれる藤戸石に伝わる不思議な物語

醍醐寺三宝院・庭園

寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建築物・表書院(国宝)から眺めるかたちで、目の前に鶴島、亀島を配した池泉式の庭園です。
豊臣秀吉は、慶長3年3月15日(1598年4月20日)に「醍醐の花見」を催すにあたり、慶長3年1月〜3月に秀吉はたびたび第80代座主・義演准后(ぎえんじゅごう)の金剛輪院を訪れています。
義演准后は、秀吉の援助で、醍醐寺を再興していますが、その時に自らの坊である金剛輪院も改修し、三宝院としています。
秀吉は、金剛輪院を訪ねた際に、池の形、中島の場所、配する石などの縄張りを決めたと伝えられています。
そして配下の3人を奉行に命じ、仙、与四郎、賢庭(けんてい=後陽成天皇から「賢庭ト云天下一ノ上手也」という勅を賜った庭師)らの庭師(義演准后の日記による)を使って、江戸時代になっても続けられ、元和10年(1624年)になってようやく完成を見ています。

眺めの中心は、庭園のほぼ中央に据えられた「藤戸石」と呼ばれる長方形の石。
この石も秀吉の居館・聚楽第(じゅらくだい)から運ばせたもの。
実は、この石、織田信長の築いた二条第(にじょうだい=二条城の前身)に据えてあったものなんだとか。
「藤戸石」と呼ばれるのは、もともとは、備前国藤戸(現・岡山県倉敷市藤戸)にあり、源平合戦のさなか、佐々木盛綱が浅瀬の場所を地元の漁夫から聞き出した後、秘密保持のために漁夫を惨殺したという、謡曲『藤戸』で知られる石だから。
漁夫の惨殺場所にあった「藤戸石」は、戦国時代に京の細川管領邸に置かれて、「天下の名石」に。
その石を信長が二条第、秀吉が聚楽第を経て、この三宝院に配したのです。

庭園には茶室も築かれていますが、これは義演准后死後、江戸時代の茶の湯の流行を背景に築かれたもの。

醍醐寺三宝院・庭園
名称 醍醐寺三宝院・庭園/だいごじさんぼういん・ていえん
所在地 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
関連HP 醍醐寺公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄東西線醍醐駅から徒歩10分
ドライブで 名神高速道路京都東ICから約4.9km
駐車場 醍醐寺駐車場(100台/有料)
問い合わせ 醍醐寺三宝院 TEL:075-571-0002/FAX:075-571-0101
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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