黄檗山萬福寺・三門

黄檗山萬福寺・三門

京都府宇治市にある黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山、萬福寺(まんぷくじ)。近世(江戸時代)に開宗した黄檗宗の中心寺院・萬福寺の総門をくぐると右手に放生池、その先に三門があり、天王殿、大雄宝殿、さらに奥に法堂が一直線に並んでします。三門は、延宝6年(1678年)の建立で国の重要文化財。

三門から先は脱俗の清浄域

三間三戸(正面柱間が3間で、3間すべてが通路になっています)二重門で、京都の東福寺、鎌倉の光明寺など、禅宗寺院の多くは五間三戸(ごけんさんこ)。
三門脇には「不許葷酒入山門」(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)の戒壇石も。
葷とは、本来は韮(にら)・葱(ねぎ)・大蒜(にんにく)などの香りの強い野菜のこと。
心を乱し修行の妨げになるものは持ち込んではいけないという戒めで、三門からは脱俗の清浄域となるわけです。

正面の額「黄檗山」、「萬福寺」は、なんと隠元(いんげん)の書。
隠元隆琦(いんげんりゅうき)は、明代末に中国福建省福州府福清県の生まれ。
承応3年(1654年)、長崎に来航し、万治元年(1658年)、4代将軍・徳川家綱と会見し、万治4年(1661年)、黄檗山萬福寺を開山。
黄檗山萬福寺という山号、寺号は隠元が修行した故郷の寺と同じ名前。
旧を忘れないという意味を込めた名前で、自らが生前に記した書を没後に三門に掲げたもの。

隠元は能書家としても知られ、同様に江戸時代初めに明国から渡来した木庵性瑫(もくあん しょうとう)、即非如一(そくひ にょいつ)とともに「黄檗の三筆」といわれています。

屋根の中央には火焰宝珠(かえんほうじゅ=火焔の透かし彫りを付けた宝珠)がのっています。円柱を用いた建物は、三門、天王門、通玄門、舎利殿、寿蔵だけとなっています。

ちなみに禅宗寺院における三門は、山門とは異なり、貪(とん=貪欲)・瞋(しん=憎悪)・痴(ち=愚痴)の三煩を解脱する境界の門、つまりは一切を空と観ずる空解脱(空門=くうもん)、一切に差別相のないことを観ずる無相解脱(無相門=むそうもん)、その上でさらに願求(がんぐ)の念を捨てる無願解脱(無願門=むがんもん)の三境地を経て仏国土に至る三解脱門(さんげだつもん)の意。
まさにここから先は、脱俗の清浄域というわけなのです。

取材協力/黄檗山萬福寺

名称 黄檗山萬福寺・三門/おうばくさんまんぷくじ・さんもん
所在地 京都府宇治市五ヶ庄三番割34
関連HP 黄檗山萬福寺公式ホームページ
電車・バスで 京阪電鉄黄檗駅・JR黄檗駅から徒歩7分
ドライブで 京滋バイパス宇治東ICから約1.4km。または、宇治西ICから約3.7km
駐車場 萬福寺駐車場(60台/有料、普茶弁当・料理を味わった場合は無料)
問い合わせ TEL:0774-32-3900/FAX:0774-32-6088
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
黄檗山萬福寺・総門

黄檗山萬福寺・総門

京都府宇治市にある黄檗宗大本山の萬福寺(まんぷくじ)。その正門にあたるのが総門。中国僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師が創建したという寺だけあって、総門も中国風。これは萬福寺全体が中国の明時代末期頃の様式で造られているため。中央の屋根を高

黄檗山萬福寺

承応3年(1654年)、明(現在の中国福建省)から渡来した隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師が後水尾法皇や4代将軍・徳川家綱の尊崇を得て、寛文元年(1661年)、宇治に開創した黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山が黄檗山萬福寺。黄檗宗は臨済宗、曹

黄檗山萬福寺・天王殿

黄檗山萬福寺・天王殿

京都府宇治市にある黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)。江戸時代初期に明から来日した黄檗宗の開祖・隠元がもたらした中国風の伽藍が、禅宗らしい凛とした空気の中にも優美な雰囲気を醸し出していますが、その玄関ともいえるのが天王殿。日本最古の七福

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

関連記事

よく読まれている記事

こちらもどうぞ