三栖閘門

三栖閘門

京都市伏見区、伏見港公園近くにある閘門が、三栖閘門(みすこうもん)。昭和4年3月31日に築かれた鉄筋コンクリート造りの閘門で、大正11年に始まった宇治川右岸の築堤工事で、伏見港と宇治川との船の通航ができなくなったため、宇治川と濠川(ほりかわ)との合流点に水位差を克服するための三栖閘門が設置されたのです。

伏見を流れる濠川に築かれたパナマ運河式の閘門

三栖閘門
保存される旧操作室

大正6年10月1日、台風の豪雨により淀川大洪水が発生、三栖地区の宇治川堤防が決壊し、中書島一帯から伏見町の西南部は全部浸水(浸水家屋は3500戸)という大きな被害が生まれました。
当時の伏見は、伏見港が江戸時代以来の高瀬川舟運、琵琶湖疏水(鴨川運河)舟運の要衝であったため、堤防工事などが行なわれていませんでした。

その結果が大洪水だったため、淀川改修増補工事の一環として伏見防水工事がに加えられ、宇治川右岸(観月橋〜三栖間)に堤防が築かれたのです(この工事によって宇治川と伏見港が分離)。

琵琶湖疏水は、重要な舟運のルートでしたが、水の流量が多いため、洪水時の対策が必要でした。
その対策として立案されたのが、放水路(新高瀬川)を新設し、洪水時に疏水の水を直接宇治川へ放流すること、そして琵琶湖疏水(濠川)の末端に洗堰(あらいぜき)と閘門を設置することで、伏見港を堤防内としたのです。
閘門を設置することで、濠川・伏見港と宇治川を連絡し、舟運の利用も続けられるようにする計画で、淀川改修増補工事のなかで最も大規模な工事となりました。

宇治川と濠川との4.5mほどの水位差があるため、パナマ運河同様の閘門が必要で、ゲートを上下させて閘門内の水位調整し、船を行き来させていました。

閘門は操作性の良さなどから引上扉が採用され、鉄筋コンクリート造り、高さ16.6mの塔屋はマンサード屋根にアール・デコ調の意匠というお洒落な外観です。

完成当時の三栖閘門には、旅客を乗せた蒸気船や石炭の輸送船など年間2万隻以上も通航し、京都~大阪間の輸送に重要な役割を果たし、経済・文化の発展に大きく貢献しています。

その後、伏見港には昭和22年、全長230m、幅60m船溜が設けられるなど、拡充が図られましたが、昭和30年代には舟運の需要が急速に低下(昭和37年に舟運は終焉)、昭和39年、天ヶ瀬ダムの完成による宇治川の大幅な水位低下もあり、昭和43年に船溜も埋め立てられ、川港としての機能も失われています。
同時に、三栖閘門も閘門としての役目を終え、「地域の歴史文化の継承と淀川が誇る歴史遺産の保全をめざす」を基本理念に、旧操作室などとともに文化財として保存されています。
周辺には「三栖閘門と伏見みなと広場」が平成15年3月15日にオープン、閘室に濠川の水を引き込み、伏見観光協会が運航する十石舟、三十石船が発着しています。

6月下旬~12月上旬の間、宇治川派流に江戸時代を偲ぶ十石舟、三十石船が運航されています。
伏見観光協会が運航するもので、十石舟は、弁天橋(月桂冠大倉記念館裏)と三栖閘門(下船見学)を50分かけて往復。
三十石船は、寺田屋浜(「寺田屋」・京橋近く)と三栖閘門(下船見学)を40分かけて往復。
ただし三十石船は紅葉シーズンなど期間限定の運航です。

十石舟・三十石船(伏見観光協会)
十石舟・三十石船で三栖閘門を見学
三栖閘門
三栖閘門
名称 三栖閘門/みすこうもん
所在地 京都府京都市伏見区葭島金井戸町
電車・バスで 京阪電車中書島駅から徒歩15分
駐車場 伏見港公園駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
宇治川派流

宇治川派流

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十石舟・三十石船(伏見観光協会)

十石舟・三十石船(伏見観光協会)

京都府京都市伏見区南兵町、弁天橋(月桂冠大倉記念館裏)と三栖閘門(みすこうもん)を結んで、伏見観光協会が運航する和船が、十石舟・三十石船。宇治川派流を起点に、琵琶湖疏水の末端となる濠川(かつての伏見城の濠)を往復する遊覧船で、3月下旬〜4月

 

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