京都府京都市左京区鹿ケ谷、哲学の道近くにある法然上人ゆかりの手入れされた風雅な庭のある寺が法然院。こぢんまりとしたなかに卓抜たるセンスを随所に感じる風雅な寺ですが、その墓地にあるのが、谷崎潤一郎の墓。谷崎家の墓石は「寂」、「空」と彫られたの2基の墓石があり、「寂」が谷崎潤一郎・松子夫妻の墓。
「森閑トシテ心ガ自然靜マリマス」と法然院に墓を築く
近代日本文学を代表する小説家のひとりで、『痴人の愛』、『春琴抄』、『細雪』などの作品を残した谷崎潤一郎は明治19年、東京市日本橋区蛎殻町(現・東京都中央区日本橋人形町1-7)生まれ。
大正12年9月1日の関東大震災では箱根の山中でバスに乗車中、崖崩れを目の当たりにし(箱根では箱根登山鉄道なども甚大な被害を受けています)、震災後、居宅を京都市、そして兵庫県武庫郡大社村越木(現・西宮市苦楽園)の万象館に移しています。
大正13年、 武庫郡本山村北畑(現・神戸市東灘区本山町)に転居し、『痴人の愛』を発表。
さらに引っ越し魔といわれるほどに神戸市内を転々とし、戦時中は岡山県に疎開、戦後は京都で暮らした後、熱海で生活しています(生涯で40回以上の転居を繰り返しています)。
昭和40年7月30日、腎不全に心不全を併発して死去。
享年80(満79歳没)。
谷崎潤一郎は代々谷崎家が日蓮宗であることを嫌っていたことから、自分で生前に法然院に墓を築いたもの。
「法然院ナライマデハ街ノ眞ン中デ、市電ガ直グ傍ヲ通ツテマスシ、疏水ノ櫻ガ咲く時分ニハ一層賑カデスシ、ソレデヰテ一歩境内ヘ這入ルトアノ通リ森閑トシテ心ガ自然靜マリマスシ、スコニ限ルト思ヒマスワ」(谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』)と、京都で自身の墓を探し、「森閑トシテ心ガ自然靜マリマス」ということで、法然院を墓所に決めています。
向かって左側、自筆で「寂」(身体の煩悩の炎が静まった静かな状態)と刻まれたのが谷崎潤一郎夫妻の墓、右側の「空」は谷崎夫人の妹、重子夫妻の墓で、糺の森の「後の潺湲亭」で谷崎家と4年ほど暮らした渡辺千萬子(義妹の養子の嫁で、『瘋癲老人日記』のヒロイン颯子のモデルとされる女性)の女学校時代の同級生が法然院住職夫人という縁で、墓地を購入できたのです。
「墓所は一番奥の東側の高いところにあります。自分で見に行ったときに折から西山に赤々と沈む夕陽を見て西方浄土の様だと気に入って決めたところです。」(『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』)。
谷崎潤一郎は、苦労してやっと見つけた法然院をとても気に入り、自ら選んだ鞍馬石の墓石を置き、自身の愛した紅しだれ桜を植栽しています。
谷崎潤一郎の墓 | |
名称 | 谷崎潤一郎の墓/たにざきじゅんいちろうのはか |
所在地 | 京都府京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30 |
関連HP | 法然院公式ホームページ |
電車・バスで | JR京都駅から市バスで40分、浄土寺下車、徒歩15分 |
ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約14km |
駐車場 | 2台/無料 |
問い合わせ | 法然院 TEL:075-771-2420/FAX:075-752-1083 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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