一斉を風靡した「L特急」、なぜ消えていった!?

高度成長時代、旅行やビジネスの需要増大を受け、昭和47年10月2日のダイヤ改正で登場したのがL特急(エル特急)。今では死語となってしまった愛称ですが、都市間輸送の主役が急行から特急に代わった大転換で、初めて特急のダイヤをパターン化、そして自由席を設定、庶民が特急に乗車する時代が到来したのです。

特急の大衆化を目指して誕生した「L特急」

それまで急行が一般的で、特急は全席指定席という少し高嶺の花だった時代に、特急大衆化を掲げて登場したのがL特急です。
始発駅を毎時ゼロ分発など、わかりやすい時刻設定で、ビジネスにも対応しました。

従来の急行はボックス席で、一人旅なら見知らぬ人と座席で向かい合うという事態は避けられませんでしたが、新たに製造された183系は簡易リクライニングシートで、時間短縮だけでなく、快適さも向上しました。

同じ昭和47年の3月15日には「ひかりは西へ」で、山陽新幹線が岡山駅まで開業。
山陽本線のおもな特急は岡山駅が起点となったほか、L特急登場の10月2日には、日本海縦貫線の完全電化が完成、大阪駅~青森駅間を走る特急「白鳥」も電車化されているなど、気動車から電車へ、急行から特急へという高速化が感じられるダイヤ改正でした。

  • 特急「さざなみ」/内房線:東京駅〜館山駅・千倉駅/8往復/183系
  • 特急「わかしお」/外房線:東京駅〜安房鴨川駅/8.5往復/183系
  • 特急「ひたち」/常磐線:上野駅〜平駅(現・いわき駅)・原ノ町駅・仙台駅/5往復/485系
  • 特急「とき」/上越線:上野駅〜新潟駅/10往復/181系
  • 特急「あさま」/信越本線:上野駅〜長野駅・直江津駅/5往復/181系
  • 特急「ひばり」/東北本線:上野駅〜仙台駅/11往復/485系・583系
  • 特急「つばめ」/山陽本線:岡山駅〜博多駅・熊本駅/7往復/485系・583系
  • 特急「はと」/山陽本線:岡山駅〜下関駅/3往復/181系(12月に485系を投入)
  • 特急「しおじ」/山陽本線:新大阪駅〜広島駅・下関駅/4往復/181系・485系・583系

初代のL特急は、上記の8列車ですが、このうち房総特急の「わかしお」、「さざなみ」、信越特急「あさま」を除くL特急には、なんと食堂車が設備されていました。

このL特急の登場が好評だったため、昭和48年10月1日のダイヤ改正で、中央東線の特急「あずさ」(10往復)、中央西線の特急「しなの」もL特急化しています(名古屋駅〜塩尻駅間電化完成)。
狩人が歌う『あずさ2号』が「8時ちょうどの」のフレーズでヒットしたのは、昭和52年のこと。
この歌がヒットした背景には、L特急化の定時発車があったのです(現在は偶数番号の列車は下り列車に使われています)。
L特急化した特急「あずさ」、そしてその後電車化した特急「しなの」からは食堂車が失われ、旅の楽しみがひとつ減っています。

時刻表にも「L特急マーク」が付けられたL特急ですが、最後まで残ったJR東海が平成30年3月17日のダイヤ改正で名称を廃止、特急大衆化の目的が達成したことになりました。
急行の特急昇格、L特急化は特急の大衆化を生みましたが、同時に急行の消滅を意味し、急行気動車などの急行列車にノスタルジーを感じる鉄道ファンも多数生まれています。

一斉を風靡した「L特急」、なぜ消えていった!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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