林野庁によると、国有林で鉄道が使われるようになったのは、長野県の阿寺軽便鉄道(現・長野県木曽郡大桑村)で明治34年のこと。木曽谷では総延長500kmという日本屈指の森林鉄道網が整備され、木材だけでなく旅客輸送も行なわれ、なかには移動する床屋の「理髪車」も運行されていました。
昭和50年5月に廃止されるまで、木材と旅客を輸送

木曽谷では江戸時代、尾張藩は停止木制度(ちょうじぼくせいど)を導入。
ヒノキを筆頭に、ヒノキに似たアスナロ、コウヤマキ、ネズコ、サワラを木曽五木と定め、伐採を禁じていました。
「檜一本、首一つ」という厳しい制度で、御嶽山の麓、王滝村では村の97%が山林という豊かな森林資源が残されているのです。
なぜ木曽五木の伐採を禁じたのかといえば、江戸城、名古屋城などの築城や造船、土木用材に良質な木曽の木材を独占的に使いたかったから。
こうして守られた木曽の森林資源は、明治時代には御用林となりましたが、日本の近代化に伴う材木需要から、政府は木材の搬出を積極的に行なったのです。
森林鉄道が敷設されるまで、木材は木曽川とその支流を使い、木材で筏(いかだ)に組んで流していました。
有名な木曽節の「木曽の中乗さん」は、筏の中央に乗って操船する人のことです。
この方法では、増水時などは搬出ができなくなるので、鉄道の敷設は急務だったのです。
中央本線は、明治43年10月5日、上松駅まで延伸したため、上松の貯木場に木材を集め、そこから中央本線で全国への輸送が可能となりました。
王滝村への森林鉄道(上松〜王滝村本谷/王滝森林鉄道本線48.1km、大正6年敷設)は、旅客輸送も行ないましたが、乗車料金は無料ですが「命の保証はいたしません」といわれたほど、危険な路線だったとか。
当初は通学手段に、後には旅行者も乗るようになったのです。
王滝森林鉄道は、滝越地区で暮らす人にとっては、まさに生活手段の一部だったのです。
しかも最盛期に総延長500kmもの鉄路だったので、特別に上松運輸営林署という「鉄道管理局」的な部署まで設置されていました。
昭和50年5月、御岳林道(おんたけりんどう)の開通で木材のトラック輸送転換を受け、ついに廃止になったのです(「さようならみやま号」運転)。
最盛期の木曽森林鉄道の勇姿は、農林水産省のYouTube公式チャンネルで見ることができます(以下に紹介)。
画像/農林水産省(林野庁林政部林政課)
| 動画で楽しむ! ありし日の木曽森林鉄道(王滝森林鉄道)|長野県 | |
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