大阪のマンホールには、大阪城と桜が描かれています。
このマンホール、平成6年の市下水道事業100周年を記念し、一般公募で集まった615点の中から採用されたもの。
大阪のシンボルは、やはり大阪城だ!
実は、大阪はデザインマンホールにこだわる町。市内に設置されるマンホール蓋は約18万枚。その10分の1にあたる約1万9000枚がデザインマンホールで、 さらにその10分の1の約1900枚がカラーマンホールになっています。
そのなかでもっともポピュラーなのが、大阪城天守閣と桜。
日本三名城(江戸城、名古屋城、大阪城)にも数えられる大阪城ですが、現在のマンホールに描かれる姿は、昭和6年、全国の天守に先がけてつくられた昭和復興天守。大坂城の天守は、もともと豊臣秀吉が築いた豊臣時代がルーツ。1583年(天正11年)、黒田官兵衛が普請総奉行(建築責任者)となって大坂城の築城を開始。しかし短命で、1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失しました。
その後、江戸時代に2代将軍徳川秀忠が再建。1629年(寛永6年)完成。当然、豊臣色を払拭する近世的な城となりました。ところがこの天守も1665年(寛文5年)に落雷によって天守を焼失しました。
というわけで、大坂城は天守のなかった時代がほとんどだったのです。つまり、過去の大坂の人は、天守の存在をほとんど知らないのです。
現在の城は、大阪城公園開園の昭和6年に完成。実は、初代・豊臣時代、2代・徳川時代の天守よりもずっと長く大阪の町を見渡しています。
そんな大阪の象徴としてそびえ立つ大阪城ですが、初層から4層までが徳川時代の白漆喰壁、5層目は豊臣時代を意識して黒漆に金箔で虎や鶴(絵図では白鷺)の絵が描かれています。つまりは、豊徳折衷! ちょっと中途半端な感じですが、平成9年に、国の登録有形文化財に登録されています。
マンホール王国大阪のこだわりとは?
大阪のマンホールには、かなりのこだわりが。
平成元年(1989年)に大阪市政100周年を記念して造られたマンホール(市の花=パンジーと桜)には、なんと1990年のEXPO(『国際花と緑の博覧会』バーションもあります。
その他、大阪城、ツインビル、アクアライナー、大阪市役所の北側堂島川(旧淀川)に架かっている水晶橋が描かれたデザインマンホール、下水道科学館付近にのみ設置の大阪市下水道科学館が描かれたバーションと実に多彩です。
2014年には『下水道展’14大阪』の開催を記念して、デザインマンホール作品募集を行ない、来場者による投票によって、2点の作品が特選作品として決定。これも「マンホール蓋に製品化し、大阪市内に設置」(大阪市建設局下水道河川部調整課)とのことで、すでにJR弁天町駅南高架下などに設置されています。
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