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お食事処会津屋

お食事処会津屋

三重県亀屋市、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定される東海道関宿。街道時代の旅籠「会津屋」が往時の建物を活かして「お食事処会津屋」として営業しています。レトロな建物の中で手作りおこわと、街道そばが味わうことができます。ともに食材にこだわった逸品。

「関の小萬」の生家でもある旅籠を再生した食事処

『鈴鹿馬子唄』(「与作思えば照る日も曇る 関の小万の涙雨」、「関の小万が亀山通い 月に雪駄が二十五足」、「昔恋しい鈴鹿を越えりゃ の小万の声がする」など)にも謡われる仇討ちのヒロインとして有名な「関の小萬」の生家でもあると伝わるのが会津屋(ただし、小万仇討ち以前の『鈴鹿馬子唄』の歌詞にもあるため、小万はまったく仇討ちとは無関係で、遊女・小万だという説が有力です)。
久留米藩剣道指南役の牧藤左衛門は、遺恨から小林軍太夫に殺害されてしまいます。
身重の妻は夫の仇を討つため旅に出ますが、鈴鹿峠をようやく越えた関宿の地蔵院前で行き倒れに。
地蔵院前の旅籠山田屋の女将は手厚く看病し、そこで生まれた赤ん坊が「関の小萬」。
天明3年(1783年)、小萬は亀山城下の辻で父の仇を討ち、見事本懐を遂げます。
この墓(妙證信女山田屋小萬 享保三年正月十六日)は福蔵寺(亀山市関町木崎)にあり実在の人物。
かなりの美貌だったので、仇討に成功した女性という物珍しさもあり、街道を上り下りする旅人は多くが心引かれて山田屋に宿泊し、宿は大いに繁盛したのだとか。

旅籠山田屋が今の会津屋です。
山菜おこわは定食スタイルで手頃。
昔ながらの竈炊き(かまどだき)にこだわるのでモトモチした食感になるのだとか。
街道そばなどに使用する水も天然水というこだわり。

お食事処会津屋
名称 お食事処会津屋/おしょくじどころあいづや
所在地 三重県亀山市関町新所1771-1
関連HP 会津屋公式ホームページ
電車・バスで JR関駅から徒歩10分
ドライブで 名阪国道関ICから約1km
駐車場 4台/無料、関町観光駐車場(30台/無料)・道の駅関宿駐車場(36台/無料)
問い合わせ お食事処会津屋 TEL:0595-96-0995/FAX:0595-96-0995
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

関地蔵院

三重県亀山市、東海道の関宿にある真言宗御室派の寺が関地蔵院。天平13年(741年)、国中に流行した天然痘から人々を救済するため行基によって創建されたという古刹で、本尊の地蔵菩薩坐像は日本最古の地蔵菩薩といわれています。正式な寺号は宝蔵寺です

関宿・高札場跡

旧東海道・関宿(三重県亀山市)にある街道時代に亀山藩が管理した高札場跡。キリシタン禁令などの法規的な内容から隣接宿場までの人馬駄賃の規定、生活に関わる様々な張り出しが行なわれた場所です。明治10年に撤去されましたが、江戸時代後期、寛政年間か

関宿旅籠玉屋歴史資料館

国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された三重県亀山市の東海道・関宿(せきじゅく)の中心、中町にある資料館が関宿旅籠玉屋歴史資料館。街道時代には、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謳われた関宿を代表する大旅籠(おおはた

関宿・百六里庭

東海道五十三次、江戸・日本橋から47番目の宿場が関宿(三重県亀山市)。関宿の家並みのなかに設けられた園地が百六里庭で、江戸から106里の地というのが名の由来となっています。旧東海道に面した眺関亭(ちょうかんてい)からは、鈴鹿山脈を背景にした

関宿(亀山市関宿伝統的建造物群保存地区)

東海道五十三次の江戸・日本橋から数えて47番目の宿場が関宿。鈴鹿峠の東の麓に位置し、西の追分で大和街道が、東の追分で伊勢街道が分かれた重要な宿場が関宿。宿場は東の追分から西の追分まで1.8kmに渡る長大なもので、25.0haが国の重要伝統的

 

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