陸奥国分寺本坊

薬師堂の建つ陸奥国分寺跡の西に位置するのが近代的な伽藍の陸奥國分寺本坊。1607(慶長11)年、伊達政宗が建立した三院二十四坊のうち、藩政時代の陸奥国分寺運営に当たった三院の一つである別當坊(佛性坊)が前身。護国山という山号は創建以来の古代寺院、陸奥国分寺の歴史を今に伝えているのです。

国分寺創建に先立って建立の別當坊が前身

伊達政宗が再興した陸奥国分寺は、明治の廃仏毀釈で後継寺院の陸奥国分寺を残して廃絶。
祈祷を行なう薬師堂に対し、檀家の法事を執り行なうのが本坊です。

昭和10年、国分寺(薬師堂)と国分寺別當坊とが合併。別當坊は本坊と改称されたのです。
現在の本堂は昭和48年に建立したもの。

ちなみに初代の別當は行基菩薩と伝わり、聖武天皇の詔で国分寺が建立される際、最初に建築されたと推測されるのが別當坊とも。

陸奥国分寺本坊
名称陸奥国分寺本坊/むつこくぶんじほんぼう
所在地宮城県仙台市若林区木ノ下2-8-28
関連HP陸奥国分寺公式ホームページ
電車・バスでJR宮城野原駅から徒歩20分
ドライブで仙台東部道路仙台東ICから約5.4km。仙台南部道路長町ICから約5.6km。または、東北自動車道仙台宮城ICから約10km
駐車場30台/無料
問い合わせ陸奥国分寺本坊 TEL:022-256-1883/FAX:022-299-2955
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

陸奥国分寺薬師堂

奈良時代に聖武天皇の詔で創建された陸奥国分寺(むつこくぶんじ)の金堂跡に1607(慶長11)年、仙台藩主の伊達政宗(だてまさむね)が再興したのが薬師堂。藩政時代には薬師堂を中心に三院二十四坊を擁する大寺院が建っていました。薬師堂は桃山時代の

陸奥国分寺跡

陸奥国分寺(むつこくぶんじ)は、741(天平13)年、聖武天皇の発願で全国に建立された国分寺の一つで最北の国分寺。古代の陸奥国の国府や現在の仙台市にあり(郡山遺跡)、国府と軍事拠点は724(神亀元)頃、北の多賀城に移っていますが、国分寺はそ

 

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