東京都内で唯一「駅のない市」、以前には鉄道も走っていた!?

東京都内の町村を除く49区市のなかで、唯一「駅のない市」が武蔵村山市。多摩地域を南北に結ぶ多摩モノレールの延伸が期待されていますが、いまだ駅のない珍しい市となっています。武蔵村山市にはなぜ、駅がないのでしょうか? 実は過去には鉄道があった時代も。

大正時代と戦時中には鉄道があった!

空から眺めた狭山湖

明治時代の鉄道は、社寺への参詣目的、あるいはセメントの材料となる石灰岩、砂利の輸送、ダム建設時の資材輸送などでも鉄道は敷設されました。
実は、現在の武蔵村山市にも軽便鉄道(ナローゲージ=トロッコによる物資・旅客輸送)が敷設されていた時代がありました。

東京市(当時)の水不足を解消するため、狭山丘陵に村山貯水池(多摩湖)、山口貯水池(狭山湖)を建設することが決まり、大正5年に工事がスタートしました。
資材運搬と導水管(羽村村山線)工事用に羽村〜横田間(12.6km)に東京市軽便鉄道(羽村山口軽便軌条)を敷設(昭和4年完成)。

ダム湖の完成で、昭和8年に軽便鉄道は廃止となりますが、この北多摩郡横田村は、現・武蔵村山市なので、昭和初期にはわずかながら物資輸送の鉄道があったことに。
太平洋戦争中の昭和18年、爆撃による堤防破壊に備えるため、軽便鉄道を復活させ、貯水池の堤防補強を行なっています(実際に爆撃の被害にあっています)。
つまりは、戦時下にも鉄道があったことに。

この軽便鉄道を知っている人は、数少なくなっていますが、横田トンネルなど隧道(トンネル)跡が野山北公園自転車道(4km)となった廃線跡に残されています。

大正時代にあった「幻の軽便鉄道計画」

大正2年9月7日、村山貯水池の建設について内閣の認可が降りると、大正2年12月14日、村山地方の名士たちはこれに呼応し、軽便鉄道を敷設したいとの申請が山本権兵衛総理大臣に提出されています。

これが村山軽便鉄道で、東京府西多摩郡箱根ヶ崎村を起点に、北多摩郡東村山村、田無町を経由、豊多摩郡戸塚村に至る区間35.4kmの軽便鉄道で、蒸気機関車を走らせるという腹づもりでした。
貯水池を囲む一大遊園地を設置というレジャー開発まで構想にはあったので、発起人たちの夢は大きく膨らんだのでしょう。
この村山軽便鉄道の路線で、岸村、三ッ木村、中藤村は現在の武蔵村山市なので、もし実現していれば、鉄道が走る市だったわけです。

当時、一帯の鉄道輸送は、甲武鉄道(現・中央本線)と川越線(現・西武鉄道国分寺線)のみで、鉄道の敷設は念願でもあったのです。

地元の郡長の反対もなく、鉄道は実現するかにも思えましたが、東京府は認可せず、発起人たちは「村山軽便鉄道ヲ川越線以西ニ短縮」することで実現を目指し、ようやく大正4年3月25日に免許を取得しています。
が、ときすでに遅く、発起人総代は村山軽便鉄道敷設の権利を一切、川越鉄道(西武鉄道前身の一社)に譲渡。
世界的な不況もあって、結果として、鉄道の敷設は見送られてしまったのです(昭和6年、免許取り消し)。

東京都内で唯一「駅のない市」、以前には鉄道も走っていた!?
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