宮崎県日南市、飫肥城の大手門の前にある歴史的な建造物が豫章館(よしょうかん)。藩主・伊東家の家臣・伊東主水(いとうもんど)の屋敷で、飫肥の武家屋敷のうちでももっとも格式の高い家が現存(明治元年築)。飫肥藩の典型的な武家屋敷で、邸内にあった樹齢数百年の大楠にちなんで豫章館と名付けられています。
良質な飫肥杉で造られた見事な主屋を拝見
屋敷を建てた伊東主水家は、飫肥藩の伊東御三家(伊東左門家、伊東主水家、伊東図書家)のひとつ。
主屋は明治元年の築で、明治2年、版籍奉還(はんせきほうかん)に伴い、14代飫肥藩主・伊東祐帰(いとうすけより)が飫肥知藩事(知藩事=旧藩主274名が就任した行政の長)に任命された後、廃城破却となった飫肥城内から移り住んだのがこの武家屋敷です。
昭和57年に伊東家から市へ寄贈され、公開されています。
邸内には九州屈指の規模を誇る見事な庭園も現存。
ちなみに明治4年、明治政府は知藩事を皇居に集めて廃藩置県を命じ、藩は県となって知藩事(旧藩主)は失職し、東京への移住が命じられています。
伊東主水家と尾張・犬山藩の不思議な関係とは!?
飫肥藩の初代藩主となる伊東祐兵(いとうすけたけ)の次女、於仙(おせん)は、犬山城主・成瀬正成(なるせ まさなり/家康から犬山城を与えられた尾張藩の家老で、大坂冬の陣では堀の埋め立てを実施)の弟・成瀬正武(なるせまさたけ=徳川重臣で江戸の秀忠と駿府の家康の間の連絡係を担う)に嫁ぎますが、成瀬正武は不可解な事件で切腹。
於仙と残された幼い子供たちは於仙の実家である飫肥城松の丸に戻り、子供たちは伊東姓を許されれ、長男の伊東祐正(幕府に帰参を申し出続けるも聞き届けられず)が伊東主水家の祖となり、次男の伊東祐秋は伊東図書家の祖となっています。
豫章館 | |
名称 | 豫章館/よしょうかん |
所在地 | 宮崎県日南市飫肥9-1-1 |
関連HP | 日南市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR飫肥駅から徒歩15分 |
ドライブで | 東九州自動車道日南東郷ICから約4.5km |
駐車場 | 飫肥城観光駐車場(159台/無料) |
問い合わせ | 豫章館 TEL:0987-5-9300 |
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