中宮寺

中宮寺

奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1丁目、聖徳太子の母、穴補部間人(あなほべのはしひと)皇后のために、その御所跡(現寺地の500m東側、現・中宮寺跡史跡公園)に創建したと伝えられる尼寺が、中宮寺。発掘調査で四天王寺式伽藍配置であったと判明しています。本尊の弥勒菩薩半跏思惟像は、国宝。

本尊の弥勒菩薩半跏思惟像は、国宝

中宮寺
弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)

聖徳太子の住まいである斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対称的な位置に建っていた寺で、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式の伽藍配置だったことがわかっています(現在は法隆寺東院に隣接)。
その後、衰退し、宝物の多くは法隆寺に移管されています。
現在地に移転したのは16世紀末頃で、慶長7年(1602年)、慈覚院宮を初代門跡に迎え、以降は尼門跡斑鳩御所として明治維新を迎えています。

現存する本堂は高松宮妃の発願で昭和43年に再建したもの。
吉田五十八の設計で、藤原時代の寝殿伽藍の形式にのっとっています。
書院造りの表御殿は、江戸時代後期建立で、国の登録有形文化財。

本尊は弥勒菩薩半跏思惟像は、飛鳥時代の作で、像高132.0cm。
右足を組み、右手の指を頬に触れようとする半跏思惟の美しい姿で有名で、50円普通切手の意匠にも使われました。
古代ギリシアのアルカイク美術の彫像に見られる表情に代表される古典的微笑(アルカイックスマイル/Archaic smile)の飛鳥時代の仏像における典型とも。

奈良国立博物館に寄託される聖徳太子の母、穴穂部間人皇女と聖徳太子の死去を悼んで王妃・橘大郎女らが制作したとされる天寿国繡帳残闕(てんじゅこくしゅうちょう ざんけつ)も国宝です。

中宮寺
天寿国繡帳残闕(国宝/奈良国立博物館寄託)
中宮寺
名称 中宮寺/ちゅうぐうじ
所在地 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
関連HP 中宮寺公式ホームページ
電車・バスで JR法隆寺駅から奈良交通バス法隆寺方面行きで5分、中宮寺下車、徒歩7分
ドライブで 西名阪自動車道法隆寺ICから約3km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 中宮寺 TEL:0745-75-2106
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
中宮寺跡史跡公園

中宮寺跡史跡公園

奈良県生駒郡斑鳩町にある国の史跡、中宮寺跡を歴史公園として整備公開したのが、中宮寺跡史跡公園。現在、中宮寺は、400m西の法隆寺東伽藍夢殿の東隣にありますが、江戸時代初期に移転したもの。貴重な飛鳥時代創建の古代寺院跡2.8haを史跡公園とし

 

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