奈良県天理市中山町にある墳丘長219m(全国24位、奈良県12位)という巨大な前方後円墳が、西殿塚古墳(にしとのづかこふん)。大和古墳群(中山支群)のひとつで、宮内庁は、衾田陵(ふすまだのみささぎ)として第26代継体天皇皇后の手白香皇女(たしらかのひめみこ)の陵に治定されています。
卑弥呼の後継者、臺與(台与)の墓説もある大王墓
平成4年~平成6年の発掘調査では、古墳の周囲から円筒埴輪が出土、3世紀後半に築造された古墳時代前期前半の古墳だと推測され、邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓ともいわれる箸墓古墳に後続するヤマト王権の大王墓です。
宮内庁により手白香皇女(第26代継体天皇皇后)の陵に治定されていますが、手白香皇女は6世紀前半なので、古墳の築造時期とは不一致ということに。
手白香皇女陵については西山塚古墳(天理市萱生町/6世紀前半)とする説が有力です。
陵墓として管理されているため、埋葬施設は確認されていませんが、後円部と前方部にそれぞれ埋葬施設(竪穴式石室)があると推測されています。
前方部頂上に巨大な石積みの方形壇(一辺22m、高さ2.2m)、後円部にも一辺35m、高さ2.6mの方形壇が築かれていたことが判明していますが、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳の後円部上にも石積みの円壇があり、埋葬施設を覆う特別な施設と考えられています。
丘陵の高い場所に造られた古墳で、内部に立ち入ることはできませんが、拝所からは奈良盆地を一望にできます。
邪馬台国が畿内にあり、箸墓古墳の被葬者が卑弥呼ということなら、西殿塚古墳に眠るのは『魏志倭人伝』にも記される卑弥呼の宗女・臺與(台与・とよ)という可能性も。
ヤマト王権の推定される初期の大王墓は、その築年代と規模などから、1.箸墓古墳(3世紀後半)→2.西殿塚古墳(3世紀後半)→3.桜井茶臼山古墳(4世紀初頭)→4.メスリ山古墳(4世紀初頭)→5.行燈山古墳(4世紀前半)→6.渋谷向山古墳(4世紀後半)と継承、築造されたと推測されています。
西殿塚古墳 | |
名称 | 西殿塚古墳/にしとのづかこふん |
所在地 | 奈良県天理市萱生町183 |
関連HP | 天理市公式ホームページ |
ドライブで | 西名阪自動車道天理ICから約7km |
問い合わせ | 天理市文化財課 TEL:0743-65-5720/FAX:0743-65-5720 |
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