メスリ山古墳

メスリ山古墳

奈良県桜井市高田にある墳丘長244m(全国15位、奈良県7位)という巨大な前方後円墳が、メスリ山古墳。出土した初期の円筒埴輪などから、鳥見山古墳群の古墳で、同じ古墳群の桜井茶臼山古墳とともに、初期のヤマト王権の王墓だと推測されています。

日本最大の円筒埴輪も出土したヤマト王権の大王墓

メスリ山古墳

墳丘長224m(復元すると250m)、後円部は3段築成で径128m、高さ19mで、円筒埴輪列が巡らされ、斜面には葺石が配されていました。
昭和34年の発掘調査で、合計106点の円筒埴輪が垣根のように密に並んだ埴輪列が出土。
四隅や要所に大型の円筒埴輪と高坏(たかつき)形埴輪を上にのせた円筒埴輪が配置されていました(円筒埴輪のみで、家・器財・人物などを表現した形象埴輪は出土していません)。
円筒埴輪は、壺形土器や高坏形土器をのせる器台形土器が発展して誕生したもので、メスリ山古墳出土の円筒埴輪は、胴部に特殊器台の文様の名残りである三角形のすかし穴が開いているなど古い特徴を残しています(4世紀初頭の埴輪)。
また、日本最大の円筒埴輪(径0.9m、高さ2.4m)が出土したことでも有名です。

記紀や『延喜式』などに陵墓としての記述がありませんが、全長は250mに及ぶと推測され、築造当時は卑弥呼の墓とする説もある箸墓古墳(はしはかこふん)、西殿塚古墳に次ぐ当時としては最大級の王墓だったことがわかっています。


石室は2ヶ所あり、とくに第2石室からは多量の武器類などが未盗掘で発見され注目を集めました。
出土品には三角縁神獣鏡、内行花文鏡の破片、212本の茎式鉄矛などがあり(国の重要文化財「奈良県メスリ山古墳出土品」)、ヤマト王権で軍事権も掌握した大王が被葬者として推測されています。
出土品などから4世紀初頭に築かれた古墳で、箸墓古墳、西殿塚古墳、桜井茶臼山古墳に続く初期ヤマト王権の大王墓だと考えられます。

ヤマト王権の推定される初期の大王墓は、その築年代と規模などから、1.箸墓古墳(3世紀後半)→2.西殿塚古墳(3世紀後半)→3.桜井茶臼山古墳(4世紀初頭)→4.メスリ山古墳(4世紀初頭)→5.行燈山古墳(4世紀前半)→6.渋谷向山古墳(4世紀後半)と継承、築造されたと推測されています。

陵墓参考地でないため、墳丘の頂まで上ることが可能。
竪穴式石室の天井石や、箸墓古墳などとも共通する方形壇(方形の土壇)を確認することがでいます(前方部は果樹園や畑地となっているため、立ち入りができません)。
見学時期としては夏草が繁茂しない冬場がおすすめです。

メスリ山古墳
名称 メスリ山古墳/めすりやまこふん
所在地 奈良県桜井市高田100
関連HP 桜井市公式ホームページ
ドライブで 京奈和自動車道橿原高田ICから約9km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
箸墓古墳

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西殿塚古墳

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桜井茶臼山古墳

桜井茶臼山古墳

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