奈良県奈良市法華寺町にある巨大な前方後円墳が、ウワナベ古墳。最新の調査の結果、墳丘長はこれまでの測量図を元にした255mを大幅に上回る270m〜280mだと判明し、国内12位、奈良県内4位の巨大古墳に。宮内庁から八田皇女(やたのひめみこ=仁徳天皇の后)の陵墓参考地に治定されています。
平城京の北に位置する巨大な前方後円墳
神功皇后に治定される五社神古墳(ごさしこふん)など、ヤマト王権の王墓を含む大古墳が多いことで知られる佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)の1基で、日本古墳時代中期(5世紀)を代表する古墳のひとつ。
墳丘は宮内庁が、水の張られた周濠は地元の農家組合が管理し、周濠越しに見学する仕組み。
令和2年11月に宮内庁、奈良県立橿原考古学研究所、奈良市教育委員会による発掘調査の結果が発表され、国内12位の巨大古墳であることがわかっています。
墳丘は3段で、斜面に葺石が配され、1段目のテラスには円筒埴輪が並んでいました。
航空自衛隊奈良基地を挟んで、西側に墳丘長204mのコナベ古墳があり、仁徳天皇の后で、前妻の磐之媛命(いわのひめのみこと)の陵墓参考地になっています(ヒシアゲ古墳も磐之媛命の陵に治定)。
『古事記』、『日本書紀』には磐之媛命は嫉妬深い后と記され、仁徳天皇30年、磐之媛命が熊野に遊びに行った際、夫である仁徳天皇が八田皇女を宮中に入れたことに激怒し、山城・筒城宮(現・京都府京田辺市多々羅付近)に移り、その地で没したとされています。
こうした関係性から、ウワナベは古語の後妻(ウワナリ)が、コナベは嫡妻(コナミ=正式な妻)が訛ったものだと推測できます。
実際の被葬者は、倭王珍(倭の五王の1人)の臣で、王族出身の倭隋(わずい)など、ヤマト王権の王に次ぐ人物とも考えられていますが、定かでありません。
ウワナベ古墳 | |
名称 | ウワナベ古墳/うわなべこふん |
所在地 | 奈良県奈良市法華寺町宇和奈辺1823 |
関連HP | 奈良市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR・近鉄奈良駅から奈良交通バス大和西大寺駅行きで航空自衛隊下車、徒歩1分 |
問い合わせ | 宮内庁書陵部畝傍陵墓監区事務所 TEL:0744-22-3338 |
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