今では訪日外国人に大人気で、箱買いする人もいるという「柿の種」。そのルーツは、新潟県長岡市の「浪花屋製菓」(なにわやせいか)。新潟県では「♪た~ね た~ね 柿の種 が~んそ浪花屋の柿の種」というCMソングもあって、知らない人はいないかもしれませんが、全国的にはまだまだそのルーツを知る人は多くはありません。
誤って金型を踏んだことで、柿の種型あられが誕生!
柿の種を最初に世に出したのは、現在の「浪花屋製菓」(創業時には屋号はありませんでした)を大正12年に創業した今井與三郎(いまいよさぶろう)。
創業当初は、薄くスライスした餅を重ね、小判型の金型で切り抜いて、あられを製造していましたが、今井與三郎の妻・さきがうっかり金型を踏み潰してしまったことで、踏み潰した金型を使ってできた、ゆがんだ形のあられが「柿の種に似ている」といわれたことがヒントに。
こうして大正13年、「柿の種」が誕生したので、まさに「浪花屋製菓」が元祖ということに。
ゆがんでしまった金型を何とか直そうとした結果、元に戻らなかったので、その金型を使ったら、柿の種になったというのが真相とのこと。
実は、豪雪で知られる長岡市は、昭和36年に全国で初めて道路に消雪パイプを設置した地でもあるのですが、この消雪パイプを開発したのも今井與三郎で、実にアイデアマンだったことがよくわかります。
「浪花屋製菓」創業当時の新潟県は、通常のご飯に使ううるち米を使って煎餅をつくるのが一般的で、あられ文化はありませんでした。
今井與三郎は、店に現われた「大阪であられ職人をしていた」と自称する青年から製法を聞き、うるち米よりも高価だった餅米を使って、あられ製造に取り掛かります。
どうやらこの青年は技術もなかったみたいで、妻と2人で試行錯誤を繰り返し、さらには金型の変形というトラブルを経て誕生したのが、変形あられの「柿の種」ということだったのです。
自称あられの職人だったという若者ですが、あられを作るというヒントをくれたということで、屋号を「浪花屋」とし、地元で煎餅を作る菓子屋とは一線を画したのです。
当時は人気となった柿の種を信濃川の舟運で搬出したという時代、全国的に広まりましたが商標登録をしなかったため、後発のメーカーが続出。
しかし、その結果、柿の種がひとつのメーカーのブランドではなく、ジャンルになるまでの発展を遂げ、海外でも有名になるという好結果をもたらしました。
「柿の種」は令和6年に誕生100周年。
浪花屋製菓敷地内にミュージアム的な直売店「新潟・長岡柿の種発祥の地」をオープン、元祖としての注目度もアップしています。
「柿の種」の元祖は、長岡市「浪花屋製菓」! | |
名称 | 新潟・長岡柿の種発祥の地/にいがた・ながおかかきのたねはっしょうのち |
所在地 | 新潟県長岡市摂田屋町2680 |
関連HP | 浪花屋製菓公式ホームページ |
電車・バスで | JR宮内駅から徒歩20分。JR長岡駅から越後交通バスで11分、平島上口下車、徒歩5分 |
ドライブで | 関越自動車道長岡ICから約6km |
駐車場 | あり/無料 |
問い合わせ | 新潟・長岡柿の種発祥の地 TEL:0258-86-7033 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |