新潟市の江南区、沢海(そうみ)地区にあるのが越後随一の豪農・豪商、伊藤家。伊藤家が明治15年〜22年に築いた邸宅と庭園が一般公開されているのが、北方文化博物館で、とくに庭園は国の名勝に。阿賀野川と小阿賀野川に挟まれた沢海で、財を築いた伊藤家のサクセスストーリーを今に伝えています。
見事な大広間から池泉回遊式の庭園を観賞
伊藤家は、農民から身を起こし、全盛期には1市4郡60数ヶ町村に1384.7町歩(1385ha)の田畑を有したという大地主で、小作人2800名、58ヶ所にもおよぶ米蔵をかかえていたとか。
阿賀野川の舟運を使って資材を運び、土塁を築き、濠をめぐらせた広大な敷地には、5代目が明治20年に建てた主屋、明治22年築で100畳に広がる巨大な書院造の大広間棟、6代目が21歳で自ら設計し明治24年に完成した数寄屋風書院の茶室兼書斎、受付となっている門土蔵(明治18年築)、米蔵(明治34年築)などがあります。
主屋をはじめとした主要建造物26棟は国の登録有形文化財。
食事・宿泊施設「大呂菴」も併設。
主屋2階の展示室や集古館では、良寛の書や古美術などを展示していて、ミュージアムとしても楽しめます。
回遊式庭園では藤、ツツジ、紅葉を堪能
昭和33年に完成した庭園は柏崎出身で慈照寺(銀閣寺)出入りの庭師として知られる田中泰阿弥(たなかたいあみ)の作庭。
4月中旬の桜、5月初旬のフジ、6月下旬~7月の古代ハス、11月中旬〜下旬の紅葉、冬の雪景色と四季の風情を楽しむことができます。
1756(宝暦6)年、初代の伊藤文吉が20歳の時、1町2反9畝29歩(約1万3000平米)の土地を与えられて分家したことに始まる伊藤家のサクセスストーリー。
1801(享和元)年、文吉の子・安次郎が35歳で2代目文吉の名を継承。
「いはの家」という屋号で豪商となり苗字帯刀を許され、伊藤文吉を名乗るように。
3代目は伊藤家の土台を築き、明治15年、5代目が伊藤邸(現・北方文化博物館)建設に着工し、明治22年に完成。
6代目は、豪商として手腕を発揮し、7代目の明治41年に所有する土地が1384.7町歩となっています。
なお、分館として新潟市中央区に新潟分館、新発田市大栄町に清水園(しみずえん/新発田藩下屋敷)があります。
北方文化博物館 | |
名称 | 北方文化博物館/ほっぽうぶんかはくぶつかん |
所在地 | 新潟県新潟市江南区沢海2-15-25 |
関連HP | 北方文化博物館公式ホームページ |
電車・バスで | JR新津駅から新潟交通バス新潟行きで15分、上沢海博物館前下車、徒歩3分 |
ドライブで | 磐越自動車道新津ICから約3.6km |
駐車場 | 400台/無料 |
問い合わせ | 北方文化博物館 TEL:025-385-2001/FAX:025-385-3929 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag