新潟県村上市、村上市街地脇の標高135mの臥牛山(がぎゅうさん)山頂に築かれた平山城が村上城。戦国時代に築かれた城で、藩政時代には近世城郭に改変され村上藩の藩庁となった城です。国の史跡に指定されるほか、続日本100名城にも選定されています。
近世には村上藩の藩庁が置かれた平山城
16世紀初頭(戦国時代)に、本庄氏の当主・本庄時長(ほんじょうときなが)、あるいはその息子の本条房長(ほんじょうふさなが)が臥牛山に前身となる本庄城を築城したことに始まると推測される平山城。
慶長3年(1598年)、上杉景勝が会津に転封された際、上杉家の配下となっていた本庄繁長(ほんじょうしげなが)も会津・守山城(現・福島県郡山市田村町)に移り、代わって堀秀治(ほりひではる)の家臣・村上頼勝(むらかみよりかつ)が入城しています。
曲輪(くるわ)などを配した山城だったものを、村上頼勝が堀をめぐらせた、平山城に改修。
本庄城を村上城という名に改めたのもこの村上頼勝です。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の合戦では東軍に与し、村上領内で勃発した西軍方の上杉旧臣による上杉遺民一揆を鎮定し、初代の村上藩主となっています。
続いて越後長岡藩から村上藩主になった堀直寄(ほりなおより)が近世城郭として完成させています(堀直寄は上野に屋敷を構え、不忍池の造成に尽力したとも伝えられています)。
堀直寄は天守を構築したほか、城下町を整備し、現在の村上の町割りの基礎を築いています。
さらに慶安2年(1649年)、姫路から「引っ越し大名」として知られる松平直矩(まつだいらなおのり)が入城、大規模に改修されていますが、天守は寛文7年(1667年)の落雷で焼失し、以後は再建されていません。
明治維新後に城郭と石垣の大部分は破却され、竪堀(たてぼり)・虎口(こぐち)などと、石垣の一部が現存するのみとなっています。
平成12年から、出櫓台などの石垣を積み直す修理工事が始まり、継続して工事が行なわれています。
「お城山」と呼ばれる臥牛山の山頂へは、山麓(二之町)から七曲り道で、徒歩20分。
本丸跡からは村上市街を一望にします。
藩政時代の城主居館(村上藩の藩庁)は、山上では不便ということで山麓に移されています。
現在の城山児童公園で、ここが登城口で、村上城跡駐車場があります。
村上城跡駐車場が満車の場合は、村上市役所、村上市郷土資料館などの駐車場(無料)の利用を。
村上城 | |
名称 | 村上城/むらかみじょう |
所在地 | 新潟県村上市本町臥牛山986-1 |
関連HP | 村上市公式ホームページ |
電車・バスで | JR村上駅から徒歩25分。または、タクシーで8分 |
ドライブで | 日本海東北自動車道村上瀬波温泉ICから約1.5km |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 村上市生涯学習課文化行政推進室 TEL:0254-53-7511/FAX:0254-52-4133 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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