新潟県長岡市の栃尾にあり、地元が「謙信公旗揚げの地」とPRする山城跡が栃尾城。戦国時代、越後国を治めたのは、上杉謙信(幼名・虎千代)の兄・長尾晴景。当時、謙信は春日山の林泉寺に預けられていましたが、兄の命を受けて還俗し、わずか14歳で栃尾城に入り、この地方を制圧したと伝えられているのです。
上杉謙信旗揚げの山城、栃尾城
その後、元服した謙信は長尾景虎を名乗り、栃尾城主となります。
天文17年(1548年)暮に兄の養子となり、春日山城主となるまでの6年間、この栃尾城を拠点に、武勲を轟かせていたというわけです。
天平年間、鶴城山(標高227.6m)に築かれたといわれる山城には登山道もあり、大空濠、馬場跡、千人溜、石垣跡、二の丸跡など、戦国時代の貴重な遺構が残されています。
山麓の秋葉公園から眺めると、鶴城山の尾根上に、明らかに手の加えられた地形を目にできますが、その部分が本丸の跡。
山頂からの眺望は抜群で、栃尾市内を見下ろすことができます。
登山口は諏訪神社からで、中央公園横の駐車場から山頂までは徒歩40分ほど。
鶴城山西側の山頂直下まで車道も通じており、駐車場から二の丸経由で本丸まで徒歩15分。
謙信死後、上杉家の家督をめぐる御館の乱(おたてのらん)で、栃尾城主・本庄秀綱(ほんじょうひでつな=検診上洛の際には太刀持ち役を務める)は上杉景虎方につき、上杉景勝に対抗しますが、天正8年(1580年)4月22日に落城し、本庄秀綱は会津へと落ち延びています。
栃尾城 | |
名称 | 栃尾城/とちおじょう |
所在地 | 新潟県長岡市栃尾町 |
関連HP | 長岡市公式ホームページ |
電車・バスで | JR長岡駅から栃尾車庫行バスで中央公園前下車、徒歩20分 |
ドライブで | 北陸自動車道中之島見附ICから約15km。関越自動車道長岡ICから約25km |
駐車場 | 15台/無料 |
問い合わせ | 栃尾観光協会 TEL:0258-51-1195 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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