新津記念館

新津記念館

新潟県新潟市中央区にある文化施設で、国の登録有形文化財に指定されるのが新津記念館(にいつきねんかん)。出雲崎出身の石油王・新津恒吉(にいつつねきち)が、自邸内に建てた外国人用の迎賓館。3連アーチの車寄せの奥には、塔屋と煙突がそびえる外観が印象的な欧風バロック調の洋館が建っています。

石油王・新津恒吉が建てた迎賓館

新津記念館

昭和13年築、地上3階、地下1階の鉄筋コンクリート造りで、設計は、併設の和館を含め清水組の大友弘、施工も清水組です。
清水組の大友弘は、旧根津嘉一郎熱海別邸(起雲閣)など、全国の名士の邸宅を築いています。

館内は各階ごとに異なる造りで、1階には17世紀に流行したジャコビアン様式で統一された「イギリスの間」、2階はロココ調の「フランスの間」と「日本間」、3階には「ドイツの間」(非公開)があり、ステンドグラスや手すりなどの内部装飾も実に見事です。

季節ごとに、新津恒吉が収集したコレクションなどの展示も実施。

洋館庭園の右奥から通じている、昭和3年築造の和館の庭園も開放されており、重厚な入母屋造りの和館主屋(内部は非公開)と土蔵造りの建物が備わっています。
和館は、昭和3年に、それまで工場で寝泊りしていた 新津恒吉が初めて自宅として建築したもの。
実は、竣工時は和館の隣りに洋館が建てられていましたが、戦時中の金属供出で取り壊され、現在は庭園になっています。

石油王・新津恒吉の波乱な人生、不屈の経歴

新津恒吉は、昭和シェル石油の前身のひとつとなる新津石油の創業者。
明治3年、北前船で賑わう出雲崎に生まれ、9歳で父を失い、10歳で雑貨商の見習い小僧となり、18歳で家業の小間物行商を継いでいます。

石油精製業に入ったのは、22歳の時。
明治32年、日本石油が新津油田で機械掘による採掘に成功し、新津油田が全盛期を迎えたことから、新津油田の有望性を見込んで明治33年、滝谷(現・新潟市秋葉区)に製油工場を建設します。
ところが滝谷の工場は火事で焼失したり、明治41年の能代川大水害で流出するという困難に見舞われます。

持ち前の不屈の精神で再起を図り、明治44年、新津の石油発掘業者・中野寛一と知り合うことから復活を遂げ、大正4年、不洗浄揮発油を発売し、全国に名が知られるようになりました。
昭和12年には新潟に大工場を建設、製油業界にゆるぎない地位を築いたのです。

成功と同時に、私財を投じて新潟空港の拡張や新潟市公会堂の建設へ寄付を行なっています。
新津邸迎賓館(新津記念館)は、海外から技術者を招いて接待するための施設です。
昭和13年には新津邸迎賓館、新潟市公会堂が完成しますが、新津恒吉は完成の翌年、69歳でこの世を去っているため、残念ながら新津邸迎賓館に外国からの賓客を迎えることは一度もありませんでした。

新潟市公会堂は、新潟市民芸術文化会館として姿を変えていますが、文化会館前には新津恒吉の銅像が立ち、1階には新津記念室が設けられています。

新津記念館
名称 新津記念館/にいつきねんかん
所在地 新潟県新潟市中央区旭町通1番町754-34
関連HP 丸新グループ 財団法人新津記念館公式ホームページ
電車・バスで JR新潟駅からタクシーで10分
ドライブで 北陸自動車道新潟西ICから約7km
駐車場 4台/無料
問い合わせ 新津記念館 TEL:025-228-5050/FAX:025-228-5123
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

関連記事

よく読まれている記事

こちらもどうぞ