小林虎三郎の碑

小林虎三郎の碑

新潟県長岡市の郊外、悠久山公園にある蒼柴神社(あおしじんじゃ)に向かう参道の脇に、ひっそりとたたずむ小林虎三郎の碑(小林病翁の碑)。病翁(へいおう)とは、幼い頃から終始病気にさいなまれた自身を表して、後年虎三郎から改名した名前。碑は没後50年に際し、旧士族の松下鉄蔵らが中心となって建てたもので、昭和5年に完成。

先見の明で長岡復興に貢献した小林虎三郎を称える碑

小林虎三郎は、松代藩士で兵学者・朱子学者・思想家の佐久間象山(さくましょうざん)のもとで学び、長州の吉田寅次郎(吉田松陰)と並んで「象山門下の二虎」と称された人物。

明治維新後に文武局総督となった小林虎三郎は、「藩財政が破綻したとしても、子弟の教育を疎かにせず文武の鍛錬をすべし」と考え、長岡藩の支藩・三根山藩から贈られた米百俵をお金に変えて、国漢学校の校舎建設費用などに充当。
これが有名な「米百俵」の逸話です。

碑文では、長岡藩が困窮しているなかでも学校を興し、人材を育成したことこそが、今日の長岡繁栄の基礎を作ったと、小林虎三郎(小林病翁)の功績を称えています。

小林虎三郎の碑
名称小林虎三郎の碑/こばやしとらさぶろうのひ
所在地新潟県長岡市悠久町707(悠久山公園内)
関連HP長岡市公式ホームページ
電車・バスでJR長岡駅東口から越後交通バスで12分、悠久山下車
ドライブで関越自動車道長岡ICから約12.2km。または、長岡南越路スマートICから約12.1km。北陸自動車道中之島見附ICから約11.9km
駐車場悠久山球場駐車場・蒼紫神社駐車場を利用
問い合わせ長岡市観光企画課 TEL:0258-39-2344
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
蒼紫神社

蒼柴神社

新潟県長岡市街の東、悠久山公園内に鎮座するのが蒼柴神社(あおしじんじゃ)。もとは長岡城内に、「長岡藩中興の英主」とも称された、長岡藩3代藩主・牧野忠辰(まきのただとき)を祀ったのが始まり。蒼柴神社の名は忠辰の尊号、蒼柴大明神からとったもの。

米百俵之碑(国漢学校跡)

米百俵之碑(国漢学校跡)

新潟県長岡市街を貫くメインストリート、大手通の角地にある「米百俵之碑」。もとは戊辰戦争の敗戦後、長岡藩の文武総督に任命された小林虎三郎が、昌福寺の本堂を間借りして開いた「国漢学校」を明治3年(1870年)6月15日、当地に移転。その新学舎が

米百俵の群像

米百俵の群像

新潟県長岡市、ハイブ長岡(長岡産業交流会館)と県立近代美術館の間にあるのが米百俵の群像。山本有三の小説にもなった『米百俵』は、戊申戦争(ぼしんせんそう)後、飢饉で苦しんでいる長岡藩に支藩の三根山藩から送られた100俵の義援米を金に換え学校(

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