新潟県長岡市街東に位置する悠久山公園のほぼ中央に、8000平方メートルの敷地を誇る自由広場がありますが、そこから小高い丘に建つ長岡市郷土資料館へと向かう坂道の途中にあるのが、河井継之助の碑。河井継之助(かわいつぎのすけ)は、司馬遼太郎の歴史小説『峠』で有名になり、2020年公開の映画『峠 最後のサムライ』の主人公。
河井継之助の非凡な才能を惜しんだ漢詩が刻まれた碑
河井継之助は、越後長岡藩の中級武士の家に生まれ、幕末の長岡藩を改革した人物。
後に家老上席に抜擢され、北越戊辰戦争時は軍事総督も務めて、非戦に尽力しますが、新政府軍との会談が決裂し、長岡を主戦場とする激戦へと突入します。
明治元年・慶応4年(1868年)5月19日、長岡城は、増水した信濃川を渡河し守備の手薄な長岡城下を攻略するという新政府軍の奇襲で制圧されますが、7月24日、八丁沖の沼地を6時間かけて横断し、奪還。
しかし軍事力で優勢な新政府軍は、7月29日に長岡城を再び制圧。
その激戦で河井継之助も足に銃弾を受け、それがもとの破傷風で逃避先の会津塩沢で42歳の生涯を閉じています。
悠久山公園に立つ石碑は明治23年に長岡城跡に建立されたもの。
大正7年、悠久山公園の整備に伴い当地に移設されています。
碑文は河井継之助が西国遊学の折りに入門した、備中松山藩(現在の岡山県高梁市)の陽明学者・山田方谷(やまだほうこく)の私塾牛麓舎で親交を深めた、三島中洲(みしまちゅうしゅう)によるもの。
また篆額(てんがく)は、戊辰戦争時の新政府軍参謀で、のちに内閣総理大臣も務めた黒田清隆。
黒田は実は河井継之助を高く評価。
書簡も送っていたが彼の手元に届かなかったという逸話も。
河井継之助の碑 | |
名称 | 河井継之助の碑/かわいつぎのすけのひ |
所在地 | 新潟県長岡市御山町94(悠久山公園内) |
関連HP | 長岡市公式ホームページ |
電車・バスで | JR長岡駅東口から越後交通バスで12分、悠久山下車 |
ドライブで | 関越自動車道長岡ICから約12.2km。または、長岡南越路スマートICから約12.1km。北陸自動車道中之島見附ICから約11.9km |
駐車場 | 悠久山公園駐車場・蒼紫神社駐車場を利用 |
問い合わせ | 長岡市観光企画課 TEL:0258-39-2344 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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