長野県上水内郡信濃町柏原、北国街道・柏原宿にある俳人・小林一茶(こばやしいっさ)の遺構が、小林一茶旧宅。土蔵は、文政10年(1827年)に起きた柏原宿の大火後に一茶が暮らした家で、文政10年11月19日(1828年1月5日)、この土蔵で生涯を終えています。
柏原大火の後、小林一茶が暮らした土蔵
小林一茶は宝暦13年5月5日(1763年6月15日)に柏原宿で農家に生まれ、15歳で江戸に出て俳諧師(はいかいし=俳諧の連歌を職業とするプロ)となり、「一茶調」と呼ばれる独自の俳風を確立しています。
文化9年11月24日(1812年12月27日)、50歳で故郷の柏原宿に戻り、永住を決めた一茶は、52歳の時に28歳の妻・菊を娶り、3男1女をもうけています。
ところが、菊と子供たちは一茶を残してこの世を去り、その後、2回結婚していますが、文政10年閏6月1日(1827年7月24日)、柏原宿の大火で、母屋を焼失し、焼け残った土蔵で暮らし始めます。
その年の11月19日、土蔵の中で65歳の生涯を閉じていますが(一茶の死は急死に近く、辞世の句は伝わっていません)、その土蔵が「小林一茶旧宅」として現存する土蔵です。
間口3間半(6.2m)、奥行2間2尺(4.2m)の茅葺きの土蔵は国の史跡に。
北国街道沿いには一茶の弟・弥兵衛の屋敷(通称・弟屋敷)とされる民家が復元されています。
火事で焼け出されるまで、一茶は弟と住居を半々に使う割住居で暮らしていましたが、大火後、弟は家を新築したのです。
一茶の菩提寺は明専寺。
墓は一茶記念館のある小丸山の小丸山墓地にあります。
小林一茶旧宅 | |
名称 | 小林一茶旧宅/こばやしいっさきゅうたく |
所在地 | 長野県上水内郡信濃町柏原 |
関連HP | 信州しなの町観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR黒姫駅から徒歩15分 |
ドライブで | 上信越自動車道信濃町ICから約2.5km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 一茶記念館 TEL:026-255-3741 |
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