本光寺

本光寺

長崎県島原市本光寺町にある島原藩主・深溝松平家の菩提寺が本光寺。松平忠房(まつだいらただふさ)が島原城主となって20年目の元禄2年(1689年)、希声英音和尚によって開山され、深溝松平家の菩提寺となった寺。寺がある場所は中世には、中世に領主だった島原氏の出城、丸尾城があった場所です。

島原藩主・深溝松平家の菩提寺

本光寺
十六羅漢窟

本光寺境内には松平家墓地、十六羅漢窟のほか島原城内から移築された常盤御殿があり、常盤御殿は「常盤歴史資料館」として松平家の遺品など1000点余を収蔵展示しています。

十六羅漢窟に安置される十六羅漢は、島原藩4代藩主・松平忠刻(まつだいらただとき)が、領内から17人の石工を選んで1人1体ずつ刻ませた石仏。

山門は元禄3年(1690年)、末寺である浄林寺山門として建立されたもので、現存する島原最古の建築物となっています。
赤く塗られているのは譜代大名の格式を表したもの。

島原城の天守の頂と山門の敷居の高さが同じで、天主の上(天上に近い地)に墓所を設けたのだと伝えられています。

瑞雲山本光寺は、深溝松平家の菩提寺のため転封とともに、忍城下(埼玉県行田市)、三河吉田城下(愛知県豊橋市)、三河刈谷城下(愛知県刈谷市)、福知山城下(京都府福知山市)、そして島原などと転々としていますが、そのルーツは、出身地である現・愛知県額田郡幸田町深溝の瑞雲山本光寺(国の史跡・島原藩主深溝松平家墓所)。
大永3年(1523年)、松平忠定(まつだいらたださだ)が創建した寺で、深溝松平家が島原藩に移ったのちも、歴代藩主の遺体は本光寺に運ばれて埋葬されています。

島原藩では、島原の本光寺を島原本光寺、故郷・三河の本光寺を三州本光寺(さんしゅうほんこうじ/三州=三河・愛知県東部のこと)と呼び分けています。
島原の本光寺では藩主の父祖の菩提を弔う仏事が行なわれ、三州本光寺では墓守・横落家が菩提を弔っていました。

藩主が島原で没した際には、まず島原本光寺で葬儀を行ない、遺骸を三河へと運んだのです。
島原本光寺の奥には歴代藩主の妻子と、7代藩主・松平忠雄(まつだいらただお)の墓があり、大名墓所となっています(松平忠雄の墓は島原、三河の両方にあります)。

本光寺
深溝松平家廟所
本光寺
名称 本光寺/ほんこうじ
所在地 長崎県島原市本光寺町3380
関連HP 島原市公式ホームページ
電車・バスで 島原鉄道島原駅から島鉄バス宇土出口行き、辰元口雪で5分、農高前下車、徒歩2分
ドライブで 長崎自動車道諫早ICから約40km
駐車場 本光寺駐車場(15台/無料)
問い合わせ 本光寺 TEL:0957-62-3382
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
常盤歴史資料館(本光寺)

常盤歴史資料館(本光寺)

長崎県島原市本光寺町、島原城主・深溝松平家の菩提寺、本光寺が所蔵する膨大な量の旧島原藩主深溝松平家(ふこうずまつだいらけ)ゆかりの歴史資料を収蔵展示するのが常盤歴史資料館。深溝松平家にまつわる民間コレクションとしては最大級のもので、とくに古

 

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