口之津灯台

口之津灯台

長崎県南島原市、口之津港の入口、土平崎の高台に建つのが口之津灯台。明治13年5月10日に初点灯という歴史ある灯台です。明治時代に三池炭鉱で採掘された石炭の積出港として栄えた長崎県南島原市口之津港の入口に建設された、八角形レンガ造の灯台。三井三池炭鉱の石炭輸出港となった口之津の出船入船を見守った歴史ある灯台です。

三井三池炭鉱の石炭輸出を見守った灯台

口之津灯台
明治10年5月10日初点灯の銘板

もともと口之津は中世から風待の湊として利用されていました。
口之津灯台周辺に、東大泊、西大泊、南大泊という地名が残るのもそんな歴史があるから。
小さな港町だった口之津の歴史が代わるのは、明治11年に三井三池炭鉱の石炭積出港になってから。
三井三池炭鉱は有明海に近いという立地ですが、有明海の干満差(干満の潮位差が最大5.5m)と湾奥部の干潟(干潮時には沖合数キロまで干潟に)のため、石炭の海上輸送には大きな制約があったのです。

三井三池炭鉱で産出した石炭は、坑口近くの大牟田川から口之津港まで小型木造船(三池番船)や艀(はしけ)で運び、口之津港で積み替え人夫(最盛期には1500名を超える人夫が就労)の手で大型の汽船に載せ替えて香港や上海など海外に輸出されたのです。
明治13年には大型の外国汽船も加わり、三井三池炭鉱の産出量の4割は、この口之津港から輸出されるようになったのです(明治41年、三池港の開港でその機能は失われます)。

口之津港を輸出港に見出したのは、世界初の総合商社・三井物産の設立に関わった益田孝(ますだたかし)。
口之津港からの石炭輸出がなければ、三井の発展はなかったかもしれないのです。

こうした背景で、明治13年に築かれたのが口之津灯台。
白く塗られていますが、創建時のままにレンガ造り。
残念ながら設計者は不明ですが、海上保安庁の保存灯台(Bランク)、さらに土木学会の近代土木遺産に認定されています。

灯台近くへはかなり狭い農業用の道路を走るので運転は慎重に。

口之津灯台
名称 口之津灯台/くちのつとうだい
所在地 長崎県南島原市口之津町65
関連HP 南島原ひまわり観光協会公式ホームページ
ドライブで 長崎自動車道諫早ICから約55km
駐車場 2台/無料
問い合わせ 南島原ひまわり観光協会 TEL:0957-65-6333/FAX:0957-65-6336
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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