長崎県五島市、福江藩(五島藩)の藩庁、福江城(石田城)の南にあるのが福江・武家屋敷通り。地名も武家屋敷2丁目で、「武家屋敷通りふるさと館」が建っています。仲町と南町を結ぶ武家屋敷通りは、30石~40石取りの中級武士の武家屋敷の並んだ場所で、美しい石塀が往時を偲ばせてくれます。
石垣は鬼岳から流出の溶岩(玄武岩)を利用
江戸時代初期の寛永11年(1634年)、第22代五島家当主で2代藩主の五島盛利(ごとうもりとし)は、藩主権力強化のため、在郷の家臣団・170余家を城下に移住させ、兵農分離を進める「福江直り」といわれる政策を推進しました。
慶長19年(1614年)、居城の江川城が焼失していたため、幕末に福江城(石田城)が築かれるまで藩庁は石田陣屋でした。
400mほど続く武家屋敷通りには、見事な石垣が現存しています。
石垣は、鬼岳が噴火した時に流れ出た溶岩が、海で冷え固まってできた玄武岩で、戸楽から長手に至る海岸の石切り場で切り出されています(福江城の石垣も同じです)。
上部に「こぼれ石」といわれる丸い小石を半円型に積み重ね、その両端をかまぼこ型の脇石で止めるという日本で数ヶ所しか確認されていない独自の造りになっています。
ポロポロとこぼれることが名の由来の「こぼれ石」は、屋敷に忍び込もうと石垣に乗ると石が落ち、その音で侵入が分かる仕組みになっているほか、いざという時には石つぶてにして投げつけることも想定していたと推測できます。
上級武士の屋敷は今の福江中心商店街通りにありました。
福江・武家屋敷通り | |
名称 | 福江・武家屋敷通り/ふくえ・ぶけやしきどおり |
所在地 | 長崎県五島市武家屋敷 |
関連HP | 五島市公式ホームページ |
電車・バスで | 福江港から徒歩10分 |
ドライブで | 福江港から850m。福江空港から約3km |
問い合わせ | 五島市観光物産課 TEL:0959-72-6111 |
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