山崎の石塁(勘次ヶ城)

山崎の石塁(勘次ヶ城)

長崎県五島市富江町山崎、五島列島・福江島の南端部、ネンチ鼻とムシマ鼻の間にある、砦の跡が山崎の石塁(勘次ヶ城)。眼前に大海原が広がる半島の先端部に位置し、迷路のような石塁が巡らされていることから倭寇(わこう)の拠点だったという説があり、旧富江町時代に、倭寇像が築かれています。

倭寇の拠点だったと推測できる迷路状石塁

山崎の石塁(勘次ヶ城)
迷路のような石塁にはのぞき穴も

人頭大の火山礫を迷路のように積み上げた東北27m、東南約40m、壁の高さ3.6mの構造物が山崎の石塁。
迷路状になった石塁は全長180mにも及びますが、入口は1ヶ所しかありません。

大工の勘次が河童と築いた石の城という伝承もあり、勘次ヶ城の名はそこから来るもの。
明銭、陶器破片、人骨が出土し、明国沿岸に築かれた海賊の築城とかたちが似ていることから倭寇の拠点とする説もありますが、定かではありません。
山崎郷は松浦党・田尾氏(松浦党は水軍的存在)の所領だったので、田尾氏との関係があるのかもしれませんが、山崎郷へ入植したのは明治9年のことで、それ以前の記録はほとんどありません。

有力な説としては、富江の豪族田尾氏がここを拠点に海賊・密貿易で勢力を伸ばし(13世紀~16世紀)、廃城後の江戸時代末期に富江の大工・勘次(狂人だったと伝承されています)が住んだというものです。

不思議な構造物は長崎県の文化財に指定されています。

倭寇は八幡(ばはん)とも呼ばれていましたが、すぐ沖合にバハン瀬があるので、やはり倭寇の拠点だったと考えるのが自然かもしれません。

山崎の石塁(勘次ヶ城)
名称 山崎の石塁(勘次ヶ城)/やまざきのせきるい(かんじがしろ)
所在地 長崎県五島市富江町山崎
関連HP 五島市公式ホームページ
ドライブで 福江港から約20km
駐車場 3台/無料
問い合わせ 五島市富江支所 TEL:0959-86-1111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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