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備前福岡の町並み

備前福岡の町並み

岡山県瀬戸内市の旧長船町域にある古い家並みが、備前福岡の町並み。「備前福岡名所町、七口七つ井戸七小路」といわれ、中世に山陽道屈指の繁栄を見せた町並みです。『一遍上人聖絵「福岡の市」』(清浄光寺所蔵全12巻/国宝)に描かれた「備前福岡の市」にも多くの人が集まりました。

黒田家にもゆかりの古い歴史の町

備前福岡は、鎌倉時代、中国地方随一を誇った大商業都市として繁栄し、南北朝鮮時代から室町時代にかけて守護、守護代の城館があった中世の城下町です。
日本刀のブランド「備前長船」(びぜんおさふね)でも有名で、「長船四天王」(本阿弥光悦が提唱した4人=長光、兼光、元重、長義)と呼ばれる4人の卓越した刀工も輩出しています。

天正10年(1582年)、羽柴秀吉が備中高松城を水攻めした時は、備前福岡で物資の調達を行なったともいわれています。

天正19年(1591年)、吉井川が氾濫し、大きな被害を生んで以降は衰退し、「備前長船」の長船鍛冶も壊滅的な打撃を受け、生き残った多くの刀工達も離散したと伝えられています。
近世には妙興寺の門前町として機能しています。

街並みとしては、家屋が身を隠せるくらい奥に下がっている「襞」(ひだ)、道路を少しカーブさせて見通し悪くする「歪」(ひずみ)、四つ角は1ヶ所(本通りの上小路に対し、市場小路、西小路が交わる部分)のみで他は少しずらして「三つ角」(T字路)というような、中世的な町割りが残されています。

黒田家の祖・黒田高政(くろだ たかまさ)と小寺氏の家臣・黒田重隆(黒田官兵衛の祖父)の墓がある妙興寺、福岡の市跡などが残されています。
備前福岡郷土館は大正時代築の旧平井医院を再生したもの。

ちなみに、九州・福岡は、慶長6年、黒田長政が筑前国那珂郡警固村福崎に新城を築城した際、故国で黒田家中興の地・備前福岡(備前国邑久郡福岡)にちなみ福岡と命名したもの。

道は緩やかにカーブしています
備前福岡の町並み
名称 備前福岡の町並み/びぜんふくおかのまちなみ
所在地 岡山県瀬戸内市長船町福岡
電車・バスで JR長船駅から徒歩20分
ドライブで 山陽自動車道山陽ICから約10km
駐車場 15台/無料
問い合わせ 瀬戸内市観光協会 TEL:0869-34-9500
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

備前長船刀剣博物館

国宝や重要文化財指定の刀剣の約半数、日本全国に残る刀剣の約8割を占める名刀「備前長船」(びぜんおさふね)の産地、岡山県瀬戸内市長船町。刀剣や刀剣の資料を集めた備前長船刀剣博物館は昭和58年の開館。「備前長船刀剣工房」や、刀の古式鍛錬の公開と

妙興寺

岡山県瀬戸内市長船町福岡、中世の城下町・備前福岡にある名刹、妙興寺。応永10年(1403年)、播磨国主・赤松則興の供養のため、その子・日伝上人が備前福岡に創建した日蓮宗の寺。境内には黒田高政(黒田官兵衛の曾祖父)・重隆(黒田官兵衛の祖父)父

福岡の市跡

岡山県瀬戸内市長船町福岡、中世の福岡荘で開かれていた定期市の跡が福岡の市跡(ふくおかのいちあと)。吉井川と 山陽道が交わる地で、天正19年(1591年)の吉井川の大洪水で町が壊滅的な被害を受けるまで、備前一の都市「福岡千軒」と呼ばれるほどに

備前福岡郷土館

岡山県瀬戸内市長船町福岡、大正3年築の旧平井医院を再生し、備前福岡史跡保存会が運営するミュージアムが備前福岡郷土館。中世に山陽道屈指の賑わいを見せた備前福岡の歴史を中心に、「備前福岡名所町、七口、七つ井戸、七小路」といわれた繁栄を様々な史料

こだわりうどん一文字

備前福岡(岡山県瀬戸内市長船町福岡)にあるうどん、そして郷土料理「どどめせ」が味わえるのが、こだわりうどん一文字。材木屋だった先代が、讃岐流のセルフうどんを知ったことがきっかけで、店を開店。今では2代目がこだわりのうどん・郷土料理店として発

 

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