【駅名・町名で知る江戸・東京】 御徒町の由来は将軍警護の御徒組に!

御徒町

大正14年11月1日、鉄道省東北本線の駅として開業した御徒町駅(おかちまちえき)。現在も実際の線路名称上は東北本線の駅ですが、御徒町という風変わりな駅名は、江戸時代、一帯に住んでいた下級武士の御徒(おかち)、御徒組(おかちぐみ)に由来する名前です。

将軍警護の御徒組の組屋敷があった地

開業当時、御徒町、仲御徒町という町名があったことから、御徒町という駅名が生まれたのですが、江戸時代後期の『江戸切絵図』下谷絵図を見てみると、たしかに不忍池の南東側には、小さな敷地の屋敷が集中。
しかも久保田藩(秋田藩)の藩主・佐竹氏の上屋敷近くには、御徒組という記載もあります。
御徒町駅の東に500mほど離れて佐竹商店街がありますが、この商店街の名は、この佐竹氏の上屋敷に由来しています。
佐竹氏の屋敷地は広大で、現在の台東区台東3丁目、台東4丁目東半分を占めています。
台東4丁目に鎮座する佐竹秋葉神社は、佐竹氏の上屋敷の跡地。
その南側にある竹町金刀比羅神社は、生駒讃岐守中屋敷の邸内にあった鎮守社(徳川家康の江戸開府時、屋敷内に金刀比羅大権を勧請したもので、実は江戸で最古の金刀比羅神社)で、この竹町金刀比羅神社の南東側に御徒組が暮らしていました。

御徒(おかち)と呼ばれた徒士(かち)は、馬上の資格がある侍(馬廻組以上)以下ですが、士分格を持たない足軽以上という身分。
近代的な軍制では下士官にあたり、江戸時代、御徒や鉄砲組同心などの下級幕臣の屋敷地は、「組屋敷」といって、組単位で与えられていました。

下谷に配されたのは、地理的に軍事上の要所だったから。
100坪ほどの敷地に、20坪ほどの家(現代的にいえば2DKくらい)を有し、七十俵五人扶持のサラリーを得ていました。
七十俵は、現代的に換算すれば(米相場によって変動しますが)、500万〜600万くらいでしょうか(これに五人扶持分、二十五俵と二斗五升がプラスされます)。

御徒の公務は、将軍の外出に随行してその警備に当たるというもので、あまり知られていませんが、戊辰戦争で蝦夷共和国の総裁となった榎本武揚(えのもとたけあき)も、下谷三味線掘の組屋敷で生まれた御徒出身です。

御徒町
佐竹氏の屋敷地南には御徒組の名も
【駅名・町名で知る江戸・東京】 御徒町の由来は将軍警護の御徒組に!
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