大阪府三島郡島本町、淀川の右岸(上流から見て)、対岸に石清水八幡宮を望む島本地区にある古社が、水無瀬神宮(みなせじんぐう)。京都府との境に位置し、後鳥羽上皇の水無瀬離宮の跡地だった地に建っています。境内には環境省の名水百選(昭和の名水百選)に選定された「離宮の水」も湧いています。
水無瀬離宮(水無瀬殿)の跡に創建した御影堂が起源
水無瀬神宮の建つ島本は、京都盆地から流れ出る桂川、琵琶湖を源とする宇治川、笠置山地を横切って流れる木津川の三川が合流し、大河淀川となる場所(淀川三川合流地点)。
そのため古来、舟運の要衝となっていて、羽柴秀吉と明智光秀の山崎合戦(天王山の戦い)でも有名です。
後鳥羽上皇は京から桂川を舟で下り、水無瀬離宮(水無瀬殿)を訪れたといい、後鳥羽上皇が隠岐国(現・島根県隠岐島)で崩御後の仁治元年(1240年)、藤原信実(ひじわらのぶざね)の描いた上皇の肖像画(『紙本著色後鳥羽天皇像』=国宝)と隠岐でしたためた直筆の遺書(『後鳥羽天皇宸翰御手印置文』・ごとばてんのうしんかんおていんおきふみ=国宝)を形見として奉安したのが神社としての始まり(水無瀬御影堂として仏式に祀られていました)。
明応3年(1494年)、後土御門天皇が隠岐より後鳥羽上皇の神霊を迎え、水無瀬宮の神号を得ています。
後鳥羽上皇は、江戸時代まで仏式で祀られていましたが、明治時代に神式に改められています。
祭神は、後鳥羽天皇、土御門天皇(後鳥羽天皇第一皇子)、順徳天皇(後鳥羽天皇第三皇子)。
豊臣秀吉が福島正則を普請奉行として築いたという客殿、 後水尾天皇より下賜されたと伝えられる江戸初期築の茶室「燈心亭」は、国の重要文化財。
本殿は、京都御所にあった明正天皇の内侍所を寛永年間(1624年〜1645年)に移築、改築したもので国の登録有形文化財に指定。
大正時代築の神庫と手水舎(「離宮の水」の採水が可能)、昭和4年築の幣殿、拝殿も国の登録有形文化財です。
参道正面の神門(国の登録有形文化財)には社殿に祀られた名刀を盗みに入ろうとしたが神威によって侵入できず、去るときに残したという石川五右衛門の手形がと伝わるものがあります。
『紙本著色後鳥羽天皇像』、『後鳥羽天皇宸翰御手印置文』をはじめとする文化財の数々は一般には公開されていません(京都国立博物館寄託)。
水無瀬神宮 | |
名称 | 水無瀬神宮/みなせじんぐう |
所在地 | 大阪府三島郡島本町広瀬3-10-24 |
関連HP | 水無瀬神宮公式ホームページ |
電車・バスで | 阪急水無瀬駅から徒歩10分、JR山崎駅から徒歩10分 |
ドライブで | 名神高速道路大山崎ICから約3km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 水無瀬神宮 TEL:075-961-0078 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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