大阪市西区靱本町にある9.7haの総合公園が靱公園(うつぼこうえん)。靱塩干魚市場の跡地で、戦後は占領軍の飛行場として靱飛行場の用地となり、昭和27年の講和条約で大阪市へ返還。昭和30年10月21日に公園としてオープン。東西800m、南北150mの細長い形で、南北に縦断するなにわ筋によって東園と西園に分かれています。
細長い公園は、第二次世界大戦の前後には飛行場だった!
空襲で焼け野原になった一帯を帝国陸軍は本土決戦に備えて飛行場として整備(土地の人は日本軍機の操縦席を見学した思い出もあるそうです)。
それを戦後に再生して米軍が飛行場として使ったというのが真相です。
現在の東大阪市新庄南周辺には大阪陸軍飛行場(盾津飛行場)がありましたが、その面影は道路の形状に残されるのみ。
靱公園の敷地は、そのまま飛行場といった感じなので貴重な戦争遺跡といえるかもしれません。
昭和34年になにわ筋によって東西に分断され、東園に美しいバラ園、ケヤキ並木、4面のテニスコートを備えた靱庭球場、西園に『世界スーパージュニアテニス選手権大会』も開かれる靱テニスセンターがあります。
公園内には楠永神社(くすながじんじゃ)が鎮座しますが、神木となる楠は、寛永元年(1624年)に海部堀川が開削され、海産物の荷揚場として栄えた時代の名残です。
境内には「永代濵(跡」、「靭海産物市場跡」、「御霊宮旧跡」の石碑が立っています。
永代浜(えいたいはま)は、海部堀川開削時にできた人工の船溜まり。
御神木の楠も米軍の飛行場建設で切り倒される運命にありましたが、郷土史家・牧村史陽(まきむらしよう)が楠にまつわるいわれ(伝説)を創作し、伐採を免れています。
また公園内には「びいどろと云ふ色硝子で鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉が好きになった。またそれを嘗めて見るのが私にとって何ともいへない享楽だったのだ。あのびいどろの味程幽かな涼しい味があるものか」という梶井基次郎(かじいもとじろう)の短編小説『檸檬』の文学碑も立っています。
梶井基次郎は明治34年2月17日に、大阪市西区土佐堀通5丁目34(現在の土佐堀3-3)に生誕。
昭和7年没なので、公園誕生を目にしていませんが、靭公園から目と鼻の先の生まれということになります。
靱公園 | |
名称 | 靱公園/うつぼこうえん Utsubo Park |
所在地 | 大阪府大阪市西区靱本町1-9・2-1 |
関連HP | 大阪市花と緑の情報サイト |
電車・バスで | 大阪メトロ本町駅から徒歩8分。阿波座駅から徒歩8分 |
駐車場 | 大阪市靱駐車場(246台/有料) |
問い合わせ | 大阪城公園事務所 TEL:06-6941-1144 |
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