真田幸村戦死跡の碑

真田幸村戦死跡の碑

慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で、豊臣方は最終決戦に臨み、防御が薄くなった大坂城に籠もるのでなく、天王寺周辺に陣を敷くことに決めました。真田幸村(真田信繁)は、前年に敵将・徳川家康が陣を築いた茶臼山を本陣としますが、奮戦虚しく討ち死に。安居神社(安居天満宮)境内に真田幸村戦死跡の碑が立っています。

実は新史料も出て、風雲急を告げる真田幸村終焉の地

真田幸村戦死跡の碑
真田幸村戦死跡の碑

大坂夏の陣での真田幸村(真田信繁)の大坂夏の陣の「天王寺・岡山の戦い」での活躍ぶりは、屏風絵などに描かれているものの、史実としては終焉の地を含めて実は定かでありません。

通説としては、安居神社(安居天満宮)とされ、境内の「真田幸村戦死跡の碑」は、軍靴の強くなった時代を反映して、大日本帝国陸軍参謀本部らによって比定され、建立されたもの。

真田幸村(真田信繁)は、慶長20年5月7日(1615年6月3日)、真田幸村は、子の真田幸昌、一族の真田信倍らと兵3500を率いて、茶臼山に陣を張り、徳川軍を迎え撃ちます。
家康の本陣が手薄になったところで、本陣を急襲しようという戦略は見事に成功しますが、圧倒的に優位な軍事力を誇る東軍は、一時は混乱したものの、立て直して西軍を追い詰めていきます。

真田幸村は安居神社(安居天満宮)で休息をとっていたところを越前松平家鉄砲組頭の西尾宗次に発見され、討ち取られたとされていますが、近年発見された『忠昌様大坂ニ而御戦功有増』には生玉(生國魂神社の周辺)と勝鬘(勝鬘院の周辺)の間の高台と記されており、最期の地を特定するのは困難だと思われます。

真田幸村戦死跡の碑
真田幸村戦死跡の碑
 

真田幸村戦死跡の碑 DATA

名称 真田幸村戦死跡の碑/さなだゆきむらせんしあとのひ
所在地 大阪府大阪市天王寺区逢阪1-3-24(安居神社境内)
電車・バスで 地下鉄堺筋線恵美須町駅から徒歩10分。JR天王寺駅から徒歩15分
ドライブで 阪神高速14号松原線天王寺出口から約2km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 安居神社 TEL:06-6771-4932
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

安居神社(安居天満宮)

2018.05.03

 

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