大分県玖珠町(くすまち)の角埋山(つのむれやま)にあった中世の山城跡で国の史跡にもなっているのが定かではないが角牟礼城跡(つのむれじょうせき)。鎌倉時代の弘安年間(1278年〜1288年)に森朝通によって築かれと伝えられ、戦国時代は難攻不落の要害といわれた山城。「続日本100名城」に選定されています。
難攻不落といわれた中世の山城
玖珠盆地の北側、標高577mの角埋山の山頂部にあり、玖珠と豊前を結ぶ交通の要衝に位置していました。
天正14年(1586年)、島津義弘(しまづよしひろ)による豊後侵攻時(大友領への侵攻)にも、島津軍の攻撃にも落城することがなく、難攻不落の城といわれるようになりました。
その後、文禄3年(1594年)〜慶長5年(1600年)に日田・玖珠2郡を領有する毛利高政(もうりたかまさ)が城郭として再整備しています。
しかし、関ヶ原の合戦後の慶長6年(1601年)、来島長親が入封し森藩が立藩すると、山麓に森藩の陣屋と町を築いたため、角牟礼城は廃城に。
自然林に覆われ訪れる人も少ないのですが、本丸跡には土塁や虎口の遺構などが残り、また二の丸跡の西虎口には礎石が、南虎口には、高さ約7m、長さ約100mもの穴太積みの石垣が現存しています。
大分県内にある「日本100名城」選定の城は大分府内城(大分市)と岡城(竹田市)、「続日本100名城」選定は中津城(中津市)、臼杵城(臼杵市)、佐伯城(佐伯市)と角牟礼城です。
角牟礼城 | |
名称 | 角牟礼城/つのむれじょう |
所在地 | 大分県玖珠郡玖珠町森 |
関連HP | 玖珠町公式ホームページ |
ドライブで | 大分自動車道玖珠ICから約3.9km |
駐車場 | 三の丸駐車場 |
問い合わせ | 玖珠町観光協会 TEL:0973-72-1313 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag