佐伯城跡

佐伯城

大分県佐伯市の南西、標高144mの城山に、慶長11年(1606年)、築城の名人・毛利高政(もうりたかまさ)が築いたと伝わる平山城の城が佐伯城跡(さいきじょうせき)。舞鶴のような姿から「鶴屋城」との別名を有しています。江戸時代には佐伯藩の藩庁が置かれ、明治4年7月に、佐伯県庁設置で廃城となっています。続日本100名城に選定。

城郭を取り囲む総石垣が現存

佐伯城
佐伯城三の丸櫓門(黒門)

元和3年(1617年)、二の丸から出火した火事で、本丸と天守を焼失。
寛永14年(1637年)、佐伯藩3代当主・毛利高尚(高直)時代に麓に三の丸を増築し、三の丸に居館が移されています。
江戸時代を通じて毛利氏が藩主をにない、6代・毛利高慶(もうりたかやす)の時代、宝永6年(1709年)から19年を費やしての大改修で天守以外の建物が修復されています。

最高所の本丸中心部に天守曲輪が置かれ、北と南西に伸びる尾根に北出丸、西出丸、二の丸を連郭式に配し、総石垣で取り囲んでいます。

本丸、二の丸、北出丸、西出丸などの石垣が残されているほか、佐伯城三の丸櫓門(黒門)、旧三の丸御殿の玄関・広間部分の遺構が現存。
旧三の丸御殿の玄関・広間部分は住吉御殿として移築保存されています。

かつて三層だったという天守台の跡には、初代・毛利高政と8代・毛利高標(もうりたかすえ)を祀る毛利神社があり、頂からは市街が一望のもと。
佐伯湾から四国の山々までを一望にします。

また現在は城山公園として格好の散歩コースになっており、山麓から山頂までは徒歩20分。
4つの登山道があり、コジイなどの照葉樹林やシダ類の種類も多く、シカなどの野生動物も生息する自然の宝庫。
山麓から城に至る佐伯市道山際線(「歴史と文学のみち」)は、「日本の道100選」に選定されています。
佐伯城に関しては、佐伯市歴史資料館に資料が展示されているので、あわせて見学を。

名称 佐伯城跡/さいきじょうせき
所在地 大分県佐伯市西谷町
関連HP 佐伯市歴史資料館公式ホームページ
電車・バスで JR佐伯駅から大分交通バス佐伯城跡方面行き10分、大手門下車
ドライブで 東九州自動車道佐伯ICから約3.8km
駐車場 佐伯文化会館駐車場(200台/無料)
問い合わせ 佐伯市城下町観光交流館 TEL:0972-28-5656(9:00〜18:00)
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
佐伯城三の丸櫓門

佐伯城三の丸櫓門

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