藩政時代、豊後森藩の陣屋が置かれたのが、大分県玖珠郡玖珠町森の三島公園。豊後国森藩の8代藩主、久留島通嘉(くるしまみちひろ)が、6年の歳月と巨費を投じて築造させた久留島陣屋跡。三島公園として整備された園内には、旧久留島氏庭園、末廣神社、末廣神社・栖鳳楼などが残されるほか、久留島武彦記念館が建っています。
三島宮の改築を名目に築かれた大名庭園
関ヶ原の合戦で西軍に与したことから、水軍で活躍した瀬戸内海を離れ、豊後森(1万4000石)に転封となった来島長親(くるしまながちか)。
城をもつことができる3万石に満たないため、慶長6年(1601年)、玖珠の拠点とされてきた中世の山城・角牟礼城(つのむれじょう)を廃し、角埋山(つのむれやま)の麓に、近世的な久留島陣屋を築いています。
さらに自身のルーツである来島(村上)水軍が信仰した、伊予大三島の大山祗神社を勧請した、三島宮(現在の末廣神社)を勧請しています。
天保8年(1837年)、第8代藩主・久留島通嘉は、その三島宮の改築を口実に、石垣、天守風の御茶屋「栖鳳楼」(せいほうろう)、藩主御殿庭園、栖鳳楼庭園、清水御門御茶屋庭園を築いて、城構えのような陣屋に修築しています。
武家諸法度で城の無断改築はできないため、三島宮の改築という名目で、陣屋一帯の大改修を行なったのだと推測できます。
総檜造りの神殿・鞘堂、日光東照宮の門を模し、日本一ともいわれる自然石の常夜燈がある清水御門など、神社風の史跡が随所に残されているのはそのため。
藩主の御殿に面する藩主御殿庭園(末広山の東傾斜面と裾を利用した池泉回遊式庭園)、栖鳳楼の周囲に築かれた栖鳳楼庭園(眺望を活かした枯山水庭園)、清水御門前の堀の端部を庭園化した清水御門御茶屋庭園(御茶屋からの観賞を意図して作庭)の総称が旧久留島氏庭園で、江戸時代後期にこの地方に伝播(でんぱ)した庭園文化の豊かな様相を示していることから、国の名勝になっています。
森城下は、「日本一小さい城下町」ともいわれていますが(中津・杵 築・日出・府内・臼杵・佐伯・岡・森の8藩があり、小藩分立といわれた豊後国の藩の中でも一番小さな藩が森藩です)、庭園は実に見事です。
三島公園(久留島陣屋跡・旧久留島氏庭園) | |
名称 | 三島公園(久留島陣屋跡・旧久留島氏庭園)/みしまこうえん(くるしまじんやあと・きゅうくるしましていえん) |
所在地 | 大分県玖珠郡玖珠町森 |
関連HP | 玖珠町公式ホームページ |
電車・バスで | JR豊後森駅から玖珠観光バスで童話碑入口下車、徒歩3分 |
ドライブで | 大分自動車道玖珠ICから約2km |
駐車場 | 三島公園公共駐車場(30台/無料) |
問い合わせ | 玖珠町社会教育課 TEL:0973-72-7151 /FAX:0973-73-9132 |
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