末廣神社・栖鳳楼

末廣神社・栖鳳楼

藩政時代、豊後森藩の陣屋町として栄えた、大分県玖珠郡玖珠町森の三島公園にある末廣神社。江戸時代後期、この地にあった三島宮改築を名目に、石垣や堀、楼閣形式の別邸である栖鳳楼(せいほうろう)、大名庭園などを配し、城郭のような体裁を整えていきました。 木造2階建て、寄棟造りの「御山御茶屋」が前身です。

天守に見立てたともいわれる楼閣

末廣神社・栖鳳楼の建つ三島公園はもともと、三島宮の社地だった地。
関ヶ原合戦直後の慶長6年(1601年)、来島長親(くるしまながちか)が森藩主として入封した際、久留島氏のルーツである来島水軍(村上水軍の一族)が信仰した、伊予・大三島の大山祗神社(おおやまづみじんじゃ)を勧請したのが三島宮の始まりです。

この三島宮一帯を8代藩主・久留島通嘉(くるしまみちひろ)が、お城仕立てに改築したものが、久留島(森藩)陣屋跡で、現在の三島公園。
このうち「栖鳳楼」は、藩の規模(1万4000石)により、城をもつことが許されなかった森藩陣屋の高台に位置する美しい茶亭で、天保2年(1831年)の完成。

眼下に庭園や森の城下を一望することから、天守の代用と見なされていたのではないか、ともいわれています。
また記録では「御山御茶屋」とも「紅葉の御茶屋」とも呼ばれ、文字通り、ここで花見や観月、紅葉などの宴が催されていたとも伝えられます。
三島宮祭礼の際の御通夜に使われたことはもちろん、森藩主と家臣が約束する「御成」の場としても使われ、2階に書院を配し、城下町を眺望できること、さらに優雅な栖鳳楼庭園(1階の茶室正面)があることからも「御茶屋」だったこともわかります(栖鳳楼庭園は大名庭園=旧久留島氏庭園ということに)。
2階の天井には籾殻を入れて断熱効果を高めるなど、当時の智恵と建築技術の粋を集めた造りとなっています。

8代藩主・久留島通嘉は藩の財政改革を進めながら、三島宮を代用天守とも、御茶屋ともいえる建物に修築するという辣腕ぶりを発揮しています。
末廣神社・栖鳳楼は、大分県の文化財に指定されています。

名称 末廣神社・栖鳳楼/すえひろじんじゃ・せいほうろう
所在地 大分県玖珠郡玖珠町森864
関連HP 玖珠町公式ホームページ
電車・バスで JR豊後森駅から玖珠観光バスで童話碑入口下車、徒歩3分
ドライブで 大分自動車道玖珠ICから約2km
駐車場 三島公園公共駐車場(30台/無料)
問い合わせ 玖珠町教育委員会 TEL:0973-72-7151
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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末廣神社

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