和歌山城・二の丸庭園(二の丸御殿跡)

国の史跡となっている和歌山城の二の丸にあるのが二の丸庭園。現在は構築物はありませんが、往時は二の丸御殿が建っていた場所。虎伏山(とらふすやま・標高48.9m)山頂の天守やその東の本丸御殿で政務を司るのは不便なので、二の丸御殿が和歌山藩(紀州藩)の政庁としても機能しました。

藩主や正室の居室、和歌山藩の政庁があったのが二の丸

和歌山城の二の丸御殿は、江戸城本丸御殿を模していたため、表・中奥・大奥に分かれ、表は紀州藩の藩庁と藩主の謁見の場、中奥が藩主の居館と家老などの詰所、大奥が藩主の正室や側室たちの居館として機能していました。
御橋廊下側(西側)から大奥、中奥、表に分かれていました。

中奥が藩主の公邸で、藩主の居間と家老や側近の部屋、世話係の詰所、風呂や台所関係の部屋がありました。
いわば、殿様の日常生活の空間が中奥です。

表は藩主の謁見や儀式を行なう場で、藩の政庁として役人が政務を司る場所にもなっていました。
こちらは和歌山藩の政庁として機能していました。

二の丸には、東に唐門、西に長屋門と切手門があって紅葉渓に通じ、南西に太鼓櫓、北に物見櫓、北西に駿河櫓で堅固に守られていました。

御殿の一部は明治18年に大阪城内に移建され紀州御殿として活用されていましたが、昭和21年に失火で焼失。

現在の二の丸庭園は昭和56年、庭園文化研究所・森蘊(もりおさむ)氏がデザインしたもので、昭和の鳥獣戯画的構図による庭園石組みで往時の庭ではありません(往時には巨大な御殿が建っていました)。

大奥に相当する場所には芝生を植栽。

和歌山城二の丸の穴蔵状遺構

西の丸への通路だった御橋廊下横にある穴蔵状遺構は、大奥にあった石室(非常用の貯蔵庫)の跡。
石組の地下室で、幅1.8m、長さ4.6m、深さ2.3mという大きなサイズで、床面に緑色片岩の板石を敷き詰め、側壁は砂岩の切石を用いて築かれています。

穴蔵とは、地下部分の上を木製の板材などで覆って用いるもので、地下の収蔵庫だったと推測できます。
発掘された穴蔵は、1655(明暦元)年の火災以降、入口を閉ざして使えなくしています。

和歌山城・二の丸庭園(二の丸御殿跡)
名称 和歌山城・二の丸庭園(二の丸御殿跡)/わかやまじょうにのまつるていえんにのまるごてんあと
所在地 和歌山県和歌山市一番丁3
関連HP 和歌山城公式ホームページ
電車・バスで JR和歌山駅から和歌山バス和歌山港方面行きで6分、公園前下車すぐ
ドライブで 阪和自動車道和歌山ICから約5km
駐車場 和歌山城不明門駐車場(70台/有料)・和歌山市中央駐車場(577台/有料)
問い合わせ 和歌山城整備企画課 TEL:073-435-1044/FAX:073-426-3905
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

和歌山城

2017年6月22日

 

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