新湊大橋・あいの風プロムナード
富山県射水市、富山新港に架かる新湊大橋に併設される歩道部分が、あいの風プロムナード。新湊大橋は、アプローチ部分も含めて全長3.6km、上下2層になっていて、上層は自動車専用道路ですが、下層は自転車歩行者道。自転車歩行者道…
富山県射水市、富山新港に架かる新湊大橋に併設される歩道部分が、あいの風プロムナード。新湊大橋は、アプローチ部分も含めて全長3.6km、上下2層になっていて、上層は自動車専用道路ですが、下層は自転車歩行者道。自転車歩行者道…
山口県萩市堀内、萩市堀内地区伝統的建造物群保存地区に選定される萩城三の丸エリアで、菊ヶ浜寄りにあるのが、旧周布家長屋門(きゅうすうけながやもん)。北の総門筋にある長屋門で、角地に建ち、東西の桁行24.91m、東端から北に…
山口県萩市堀内、萩市堀内地区伝統的建造物群保存地区に選定される萩城三の丸エリアで、菊ヶ浜寄りにあるのが、旧繁沢家長屋門(きゅうはんざわけながやもん)。繁沢家は、阿川毛利家(7391石余)の分家で、萩藩寄組(重臣の家柄/幕…
首都圏にある絶景の海上橋のうち、東京港のレインボーブリッジ、東京ゲートブリッジ、そして横浜港の横浜ベイブリッジには遊歩道が併設され、海上散歩を楽しむことができます。3橋のうち、対岸に渡ることができるのは、レインボーブリッ…
山口県萩市下五間町、野山獄跡・岩倉獄跡のある通り(常念寺筋)沿いに建つ、浄土宗の寺が、常念寺。寺の表門は、かつての京・聚楽第(じゅらくだい)の裏門で、その解体時に毛利輝元(もうりてるもと)が豊臣秀吉から授かったものと伝え…
山口県萩市今古萩町、かつての萩藩藩士野山家と岩倉家の屋敷跡が、野山獄跡・岩倉獄跡。道(常念寺筋)を挟んだ両側にある屋敷跡は、藩政時代の長州藩の牢獄。野山獄は上牢として上級武士を、岩倉獄は下牢として庶民が収容されていました…
山口県萩市堀内、萩市堀内地区伝統的建造物群保存地区に選定される旧萩城三の丸エリアにあるのが、萩キリシタン殉教者記念公園。五郎太石事件で処刑された熊谷元直、天野元信の殉教碑、そしてキリスト教が解禁前の明治初年、政府の弾圧で…
神奈川県横浜市中区山下町、横浜中華街にある中華粥(ちゅうかがゆ)が評判の広東料理店が、謝甜記(しゃてんき)。中華街大通りの本店のほかオープンキッチンのモダンな雰囲気の貮号店(にごうてん)もありますが、ともに昼時は行列必至…
神奈川県横浜市鶴見区大黒ふ頭、横浜ベイブリッジの下層部、大黒埠頭側から全長320mにわたって設置された歩行者専用の展望施設が、横浜ベイブリッジスカイウォーク。横浜市政100周年記念施設として平成元年9月に開通。通り抜けは…
山口県萩市堀内、萩市伝統的建造物群保存地区に選定される萩城三の丸のうち、旧益田家物見矢倉近くに復元されているのが、北の総門。萩城三の丸(堀内)と城下町とを隔てる北の総門、中の総門、平安古の総門(ひやこのそうもん)3ヶ所あ…
山口県萩市堀内にある明治時代建立の門が、旧毛利家別邸表門。もともとは最後の長州藩主となった毛利元徳(もうりもとのり)が明治時代に鎌倉・材木座に建てた別邸とともに大正10年に萩・東田町に移築したもので、昭和49年に現在地に…
JR東日本は、2024年2月15日(木)~ 3月11日(月)、特別企画乗車券「北陸応援フリーきっぷ」を販売します。北陸3県の観光を支援するトクトクきっぷで、2024年2月16日(金)~ 3月15日(金)に利用可能。4日間…
山口県萩市堀内、萩市堀内地区伝統的建造物群保存地区に選定される萩城下町の一画、白壁土塀の問田益田氏旧宅土塀近くに建つのが、萩藩永代家老・福原家の萩上屋敷表門。萩城の三の丸に位置し、重臣の武家屋敷が建ち並ぶ堀内でも、現存す…
昭和31年の東海道本線全線電化に合わせ、国鉄初の特急形電車として昭和33年11月11日に特急「こだま」として運転が始まったのが151系電車で、その後、特急「とき」用の161系、特急「あさま」「あずさ」用の181系への進化…
山口県萩市堀内、萩藩永代家老益田家の分家にあたる、問田益田家の土塀が、問田益田氏旧宅土塀。問田益田家は、問田(現・山口市)を治めていたのでその名がある名家。総延長231.7mと、長い土塀を巡らせた「重臣たちのお屋敷街」・…
山口県萩市堀内、萩を流れる阿武川デルタ(橋本川は派流)の北西端の海沿いに、まるでお椀を伏せたような形状の山(標高141.8m)が、指月山(しづきやま)。日本海を見下ろすこの天然の要塞には、いざというときのための萩城の詰城…
あまり知られていませんが、新幹線「こだま」には個室があります。山陽新幹線(新大阪駅~博多駅)の「こだま」(700系、グリーン車なし)のうち、こだま845号・856号・858号・860号の8号車には普通車指定席の4人用個室…
山口県萩市今魚店町、白砂の広がる菊ヶ浜の背後に幕末に築かれた沿岸防備の土塁跡が、菊ヶ浜土塁(女台場)。長州藩(萩藩)は、下関戦争の直後、武士不在の萩で、外国船の襲来に備えて菊ヶ浜に土塁を築くことを住民に命じ、工事には萩藩…