増毛灯台
北海道増毛郡増毛町弁天町5丁目、増毛港を見下ろす高台に建つのが、増毛灯台(ましけとうだい)。明治23年12月25日、木造四角形の灯台として初点灯したという歴史ある灯台で、昭和21年に火災で焼失したため、昭和24年3月、コ…
北海道増毛郡増毛町弁天町5丁目、増毛港を見下ろす高台に建つのが、増毛灯台(ましけとうだい)。明治23年12月25日、木造四角形の灯台として初点灯したという歴史ある灯台で、昭和21年に火災で焼失したため、昭和24年3月、コ…
北海道上川郡美瑛町中宇莫別(なかうばくべつ)、波打つ丘(波状丘陵)が続く美瑛町にある灌漑用のアースダムが、聖台ダム(せいだいだむ)。宇莫別川を堰き止め、昭和7年から5年を費やして完成したダムで、土木学会選奨土木遺産にも選…
沖縄県宮古島市城辺、宮古島の南岸、ムイガー断崖(隆起サンゴ礁の断層海岸)の内陸側のカルスト地帯(石灰岩台地)にある鍾乳洞が、仲原鍾乳洞(なかばりしょうにゅうどう)。サトウキビ畑の真下にある個人経営の穴場的な鍾乳洞ですが、…
山形県山形市山寺、山寺の通称で知られる立石寺(りっしゃくじ)は、貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が創建したと伝わる天台宗の古刹。実際の開祖は安慧(あんね)で、『奥の細道』で、芭蕉が訪れ「閑(しづ)かさや岩にしみ入る…
山形県山形市山寺、山寺の通称で知られる立石寺(りっしゃくじ)。山上の釈迦堂の建つ釈迦が峰は、修験者のみに許される修行の場(危険のため一般の入山は固く禁じられています)。狭い洞窟を抜ける胎内くぐりの修業の場近くにあるのが胎…
山形県山形市山寺、山寺の通称で知られる立石寺(りっしゃくじ)。山門をくぐり、少し上ったところに建つのが姥堂(うばどう)で、堂内には三途川(さんずのかわ)で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼・奪衣婆(だつえば)が祀られています。
山形県山形市山寺、山寺として有名な立石寺(りっしゃくじ)のさらに奥、奥山寺と通称される地にある異色のスポットが、峯の浦・垂水遺跡(みねのうらたるみずいせき)。最上三十三観音の二番札所・千手院の裏手にあり、円仁(慈覚大師)…
沖縄県宮古島市城辺保良、宮古島の東平安名崎近く、保良泉ビーチ(ぼらがーびーち)の東の海食崖にある鍾乳洞が、保良クバクンダイ鍾乳洞。干潮時のみ、カヌーやSUPで入洞でき、鍾乳洞内にカボチャを思わせる鍾乳石があるのでパンプキ…
東京都文京区湯島3丁目、湯島天満宮の南200mほどの場所にある坂道が、実盛坂。階段部分は20mほどですが、石段の急坂が東西に続き(西側に上るかたち)、足がすくむほどの急坂。一帯は平安時代に長井庄と呼ばれ、斎藤実盛(さいと…
東京都文京区目白台1丁目にある坂道が、幽霊坂(ゆうえれいざか)。幽霊坂は港区の三田にもありますが、幽霊が出そうなイメージに近いのは文京区の方。肥後細川庭園の西側から和敬塾と目白台運動公園の間を上る急な坂道で、地元の人は通…
長野県上水内郡信濃町、新潟県にほど近い、標高654mの地に位置する湖が、野尻湖。妙高戸隠連山国立公園内に位置し、古くは信濃の尻から、信濃尻湖と称されていました。火山の噴火物でできたといわれる堰止湖で、入り組んだ湖岸線のか…
長野県上水内郡信濃町野尻、野尻湖(のじりこ)の西岸、国道18号近くに建つのが、野尻湖ナウマンゾウ博物館。野尻湖では、昭和23年にナウマンゾウの臼歯(きゅうし=奥歯)が発見されて以来、湖底発掘と調査が続けられていますが、そ…
沖縄県南城市前川、全長5kmの鍾乳洞・玉泉洞(ぎょくせんどう)のある「おきなわワールド」の西側の谷が、ガンガラーの谷。一帯は隆起サンゴ礁の石灰岩台地で、太古に鍾乳洞が崩れて誕生した谷がガンガラーの谷です。ガイド付きで探勝…
沖縄本島南部の南城市玉城糸数にある鍾乳洞(自然洞窟=ガマ)が、糸数アブチラガマ。全⻑270mの鍾乳洞で、沖縄戦では糸数集落の避難壕でしたが、日本軍の陣地壕や倉庫として使用され、戦争が激化し、戦場が南下するに及んで病院壕と…
沖縄県島尻郡南風原町、大名(おおな)地区の首里に向かう旧街道沿い、ヒージャーカービラと呼ばれる急坂にあるのが、大名ヒージャーガー。旅人ものどを潤した共同井戸で、漢文でヒージャーガーのできた由来を記す石碑が立ち、石碑と井戸…
長野県東筑摩郡麻績村(おみむら)と更埴市(こうしょくし)を結ぶ、国道403号沿い、麻績村の聖高原にある湖が、聖湖(ひじりこ)。自然湖で、もともとは馬場池(ばんばのいけ)、夜ヶ池と呼ばれていた沼地を昭和39年に改良して湖に…
長野県長野市松代町(まつしろまち)、松代藩真田家の城下町・松代にある真田家の菩提寺が、長国寺(ちょうこくじ/正式名は長國寺)。天文16年(1547年)、武田信玄の家臣だった真田幸綱(さなだゆきつな=真田幸隆)が、真田郷(…
長野県長野市松代町、松代藩真田家の家臣で、150石の禄を受けていた横山家の住居が、旧横田家住宅。1000坪の敷地には、寄棟造りで茅葺きの主屋や、表門、隠居屋、土蔵のほか、庭園や菜園などもほぼ完全なかたちで残っており、主屋…