埼玉県加須市にあった中世から近世初頭の城が騎西城(きさいじょう)。築城時期は不明ですが、戦国時代には上杉家と北条家の攻防の場所となりました。江戸時代初めには徳川家康の側近が城主を務めていましたが、寛永9年(1632年)に廃城に。3層3階模擬天守が建っていますが、あくまでも観光天守で、内部は郷土史料展示室。
「上杉VS北条」、関東支配の最前線の城
享徳3年(1454年)、第5代鎌倉公方・足利成氏(あしかがしげうじ)による関東管領・上杉憲忠(うえすぎ のりただ)の謀殺をきっかけとして享徳の乱(きょうとくのらん=28年間断続的に続いた内乱)が勃発。
康正元年(1455年)、本拠を古河に移し、初代の古河公方(こがくぼう)となった足利成氏は、深谷上杉氏の城であった騎西城を攻略(記録に残る騎西城の初出です)、永禄6年(1563年)には、上杉輝虎(うえすぎてるとら=上杉謙信)が関東に侵攻、小田朝興(おだともおき)の守る騎西城を攻略しています。
さらに戦乱の世は続き、天正2年(1574年)、古河公方の家臣・簗田持助(やなだもちすけ)が守備する関宿城が北条氏政の大軍に包囲された際、関宿城への援軍として出兵した上杉謙信は騎西城、菖蒲城(現・埼玉県久喜市菖蒲町)などの城下を焼討ちにしています。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐後、徳川家康の関東移封で、松平康重(まつだいらやすしげ/「康」は家康からの偏諱、家康の落胤という説も)の居城(2万石)となりますが、慶長6年(1601年)に、常陸笠間に転封。
大久保忠常(おおくぼただつね)が城主となりますが、その子・大久保忠職が寛永9年(1632年)に美濃加納藩(5万石)へ加増移封され、廃城になっています。
徳川家康は、側近の松平康重、大久保忠常を城主にしていることから、幕藩体制の確立までは騎西城を重視していたことがわかります。
東に大手門を配し、天神曲輪、陣屋曲輪、二の丸、本丸があり、周辺が沼地だったので、天然の要害でした。
模擬天守は、昭和50年、騎西町が町制施行20周年を記念して建設されたもの。
本来は、近世的な天守ではなく、平屋の館が建ち、近世的な石垣もなく、土塁が中心だったと推測できます。
名称 | 騎西城/きさいじょう |
所在地 | 埼玉県加須市根古屋633-2 |
関連HP | 加須市公式ホームページ |
電車・バスで | 東武加須駅・JR鴻巣駅から朝日バスで福祉センター下車、徒歩1分 |
ドライブで | 東北自動車道加須ICから約6.5km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 加須市生涯学習課 TEL:0480-62-1223 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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