『日本書紀』26巻に有馬皇子が湯治したという記述がある「牟婁温湯」(むろのゆ)。南紀・白浜温泉(和歌山県白浜町)の湯崎の波打ち際に湧き出した温泉の総称で、江戸時代には「湯崎七湯」と称されるようになりました。唯一現存するのが「崎の湯」で、1300年という白浜温泉の歴史を今に伝える絶景温泉です。
日本最古の露天風呂ともいえる、波打ち際の絶景温泉
『日本書紀』、『万葉集』には天皇や皇族が牟婁温湯、有間温湯(ありまのゆ=現・神戸市の有馬温泉)に出かけた記述がありますが、これは都に近く、良質な自噴する温泉があったからこそ。
斉明天皇4年(658年)、有間皇子(ありまのみこ=孝徳天皇の皇子)は、謀反人として牟婁温湯へ連行され、中大兄皇子の尋問を受けているのです。
その前年、身の危険を感じた有間皇子は、政争に巻き込まれるのを避けるため、心の病を装って牟婁温湯に滞在していますが、帰京後、その地の素晴らしさを伯母である斉明天皇に報告、斉明天皇は牟婁温湯に行幸しています。
この行幸時に、飛鳥に残った有間皇子に蘇我赤兄(そがのあかえ)が謀反をそそのかし、さらに謀反の計画があると中大兄皇子にそれを密告したため、19歳の若さで絞首刑にされているのです。
この悲劇で、牟婁温湯は一躍有名になったのです。
白浜町湯崎に立つ「行幸芝」石碑は斉明天皇の行幸時に仮宮があったとされる地で、行幸源泉が湧いています。
その行幸源泉の西100mほどの海岸にあるのが、絶景露天風呂の「崎の湯」です。
太平洋の波が打ち寄せる露天風呂で、かすかな硫黄臭と磯の香りがブレンドされ、野趣満点。
「海側の 湯壺は半分まで波が来たら閉鎖しますが、その際は陸側の湯壺で入浴できます」とのこと。
斉明天皇4年11月9日(658年12月9日)、牟婁温湯で中大兄皇子に「なぜ謀反を起こしたのか」と問い詰められた有間皇子は、「天與赤兄知。吾全不知」(すべては天と赤兄だけが知っている。私は何も知らない)と冤罪(えんざい)を主張しますが、聞き入れられることはなく、翌々日に藤白坂(和歌山県海南市)で絞首刑になっています。
南紀白浜観光協会では『日本三古湯!白浜温泉の湯崎七湯跡を語り部と歩く』というイベントを通年を通して実施しており、もちろん、この崎の湯も立ち寄りポイントになっています。
画像協力/南紀白浜観光協会
【絶景温泉】1300年の歴史を誇る白浜温泉「崎の湯」に入浴! | |
所在地 | 和歌山県西牟婁郡白浜町湯崎1668 |
場所 | 崎の湯 |
関連HP | 南紀白浜観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR白浜駅から明光バス町内循環線または新湯崎行きで12分、湯崎下車、徒歩5分 |
ドライブで | 阪和自動車道南紀田辺ICから約15km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 崎の湯 TEL:0739-42-3016 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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