日本最古のダム(ダム形式のため池)は、大阪に!

狭山池

日本最古のダム(ダム形式のため池)といわれるのは、大阪府南部の大阪狭山市にある狭山池。昭和16年、大阪府の史跡名勝第1号にも指定の狭山池は、『古事記』・『日本書紀』にも記され、7世紀前半の飛鳥時代に西除川(にしよけがわ)、三津屋川の合流点を堰き止めて誕生したため池です。

飛鳥時代、渡来系の技術を使って構築した堤

狭山池

『古事記』に「印色入日子命(いにしきのいりひこ)、血沼池又狭山池を作る」と記されていますが、印色入日子命は垂仁天皇(すいにんてんのう)の皇子。
記紀に記される大王(おおきみ)のひとりですが、考古学上、実在したとすれば3世紀後半〜4世紀前半のヤマト王権の大王ということになり、池が築かれたのは古墳時代ということになります。

自然地形を利用して川が流れる谷間をせき止め、貯水機能を強化したダム式のため池です。

天平3年(731年)、行基が改修したとされるので、少なくとも飛鳥時代には築かれていたという日本最古のダム形式のため池です。
慶長13年(1608年)には豊臣秀頼の命を受け、方広寺大仏(京の大仏)に再建も担った片桐且元(かたぎりかつもと)による改修が行なわれるなど、何度も改修が行なわれています。

さらに平成の大改修でダム化されていますが、その際の調査で、東樋(ひがしひ=コウヤマキの大木をくり貫いた管をつないで造られた木樋)に使用された木材の伐採年代が年輪年代測定で、616年(推古天皇24年)とされ、この616年というのが科学的に考証できる最古の年代ということに。
また、中国から朝鮮半島経由で伝来した敷葉工法(しきはこうほう=植物の葉、枝、樹皮などを何層にもわたって敷き並べながら土を積み上げ、盛土のすべりや崩れを防ぐための技術)が使用されていることも明らかになっていて、築造には渡来系の技術者が関わっていっとも推測でき、その技術があって膨大な水圧を受け止める強固な堤が完成したのです。

現在は狭山池土地改良区が管理し、農業用水として人々に利用され、狭山池の堤防部分は大阪狭山市立の狭山池公園として整備。
歴史を解説するビジターセンターとして大阪府立狭山池博物館が建っていて、館内では出土した飛鳥時代と江戸時代の東樋(ともに国の重要文化財)が展示されています。
また、農林水産省の「ため池百選」、国際かんがい排水委員会(ICID=International Commission on Irrigation and Drainage)の「かんがい施設遺産」に登録。

狭山池
日本最古のダム(ダム形式のため池)は、大阪に!
所在地 大阪府大阪狭山市岩室
場所 狭山池
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狭山池

狭山池

大阪府大阪狭山市にあるため池が狭山池(さやまいけ)。飛鳥時代前期、大和朝廷によって西除川(天野川)と三津屋川(今熊川)の合流点付近を堰き止めて築造されたと伝えられ、それが事実とすれば日本最古のダム湖ということに。『古事記』、『日本書紀』にも

 

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